2017. 06. 25  
44年前テストマッチの様子を書いている時に、昨日、『現ジャパンのテストマッチ・対アイルランド戦』が行われた。
40年前とは変わったなーと、感慨深いのは、『情報戦の様子』であり、「その情報の量と、その活用の良し悪しで、いろいろなことが惹起する面白さ」も、 あるのではないだろうか。

たとえば1968年全日本NZオールブラックスJr勝利した際は、NZでは『全日本が彼らが想像だにし得ない前へ出るディフェンスをする』という情報はなかったから、面食らったということだったろう。同じことが2015年ワールドカップで、ジャパン南アフリカを破った際には、南アがジャパンをなめて居て、情報収集、準備を怠ったため苦杯をなめた。しかし、3日空いたスコットランド戦では、指摘したとおり地元のスコットランドは、多数の分析員とドローン?などの分析術を駆使して3日間でジャパンを丸裸にし、すぐに対応策を練習して、快勝したのである。

そして1971年全日本のNZ遠征の情報を聞いたイングランドが、全日本のディフェンスを怖がってFWで勝負してくれた結果、全日本FWが健闘して接戦出来た。しかし1973年全日本英仏遠征時には、当時世界最強のウェールズは、「全日本の前へ出るディフェンスに対して、深いライン走力で振り切れると判断、その情報収集と準備を怠った全日本は完敗。しかし左程、情報収集してなかった?、また身体・身体能力の差が少なかったフランスには、善戦できた

だが今回2015年ワールドカップ以後、対ジャパンへの情報収集が進み、「敵ヘッドコーチが、ジャパン選手の個人名をあげて警戒心を披露する」など、良く研究されて来ていることを考えなければならない状況であったことがわかった筈。そこで懸念されるのが日本のメディアラグビー評論家などの対応ではなかろうか。
スポーツでは「情報の取り扱いも、一種の駆引きになるもの」、日本の記者がゲーム前に、日本のスタッフに根掘り葉掘り聞き出したり、その情報を掴んだからと言って、「何でもかんでも披露すれば良いというモノではない」ということを、心掛ける必要があるのではなかろうか。

またラグビー指導者が考えなければならない戦略戦術的なモノについては『わかっていても防げないといった ・ 確固たる信念鍛錬により、ティア1の強豪に対しても確実に完遂できるモノ』が、求められるのではなかろうか。


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2017. 06. 24  
ちょっと忙しいことがあって、更新の間が空いたが、『ブログ拍手』のところにコメントが入っていたので、紹介しておきましょう、、、

< I さんからのコメント:横井さん。お久しぶりです。A高校から異動し、母校のS高校で、 勤務2年目となりました。まだ、副顧問のため部の中心となってはおりませんが、正顧問にお願いをして、 タッチラグビーを練習、および大会に、 参加させてもらっています。横井さんに、 紹介していただいた ・ Kさんとの付き合いも、もう5年になります。本当に、ありがとうございます。今後ともよろしく、お願い致します

横井感想 : それは結構でした。私は、 以前から、『高校の部活動で、 部員が少ないところ』、あるいは『高校時代にタックル有りの15人制ラグビーを始めるのに逡巡する』場合などに、『タックルなしだがスピ―ディで、いろいろなスキルも上達 し、その後15人制ラグビーをやる際にも大いに役に立つ ・ タッチラグビーをする』ことの方が、『コンタクトを嫌いながら15人制ラグビーをして、片手でラグビーをする悪い癖をつける』よりは、 良いのでは、、、と推奨していますが、それを実際に、指導実行されている I さんからのコメントでした。

2017. 06. 18  
1973年10月27日、この英仏遠征の最終11戦目はフランス・ボルドーでフランス代表とのテストマッチとなった。大西鉄之祐著『わがラグビー挑戦の半世紀』の公式報告の文章を、お借りすると、ほぼ以下のとおり、、、

この年、フランスNZオールブラックス破って意気が上がっており、その時のメンバーに加えて、 若手を配した構成となっていて、まさに世界第一級の強豪チームだったのである。
しかし、我々全日本チームにとっては、秋とは言え暖かく、グランドは硬くて芝も短く、日本の関西地方と変わりなく絶好のコンディションと捉えられ、FWは大きいが、BKは左程体格差を感じないという ・ これまた格好の対戦相手と思われたのであって、『FWマイボール獲得と、スクラムサイドの防御BK前パスで敵陣に進み、サインプレーでトライをとる戦術』を、簡潔明瞭に申し合わせて、ゲームに望んだのであった。

さらに、全日本は「これで遠征は終わりだ」との気持ちもあって、「ゲームの入り」がよく、前半の20分までは、ほゞ敵陣で戦い、植山が1PGを決めて、3-0リード。しかし、 22分にフランスFWに中央を突破されトライを許すとその後は双方激闘の連続となった。すなわち、全日本の展開プレーに観衆は大いに沸き、フランスは予想通りのスクラムサイド周辺のアタックでトライと、『双方わかっていても止められなかった得意技』で応酬する形となって、3-47-47-10二転、三転シーソーゲームで、前半はフランスのリードで終了

後半も、最初にフランスが、 ブラインドサイドを突いてFWがトライ7-16と引き離したが、すかさず全日本も、例によるBKの右展開でFB参加の接近サインプレー、 またBKディフェンスでのトライの2トライで追撃、15-16詰め寄った。この20分の攻防は、5万の観衆が総立ちで両チームに惜しみない声援を送ったものだった。

だが全日本の『魔の時間・後半の後半20分』が来た、全員が『ぼーっとする時間帯』である(私が使っている言葉では、「フィットネスコンタクトフィットネスから崩れ、次に足に来てランフィットネスがなくなり最後は頭が真っ白になり知的フィットネスがなくなる」と同じ意味)、その時間帯でフランスTBのマゾー俊足にスワーブで抜かれるなど、絶対的な走力の差対応する術を見出せることなく、2トライを許すなどして、1PGを返すも、結局18-30で終了した。

それでも、この試合は、遠征中のもっとも印象的な『テストマッチ』といえる。幾多の反省材料は残るとしても、フランス人に与えた『全日本の試合ぶり』は、我々の想像以上に強いイメージを感じさせたように思われる。


2017. 06. 13  
さて、しばらく振りのブログ更新となるので『箸休め』に50年前の『海外遠征の様子』を書いてみよう。

1968年のNZ遠征は、 全日本(ALL JAPAN)と言えど、正式の『国代表』の扱いではなくて、NZU(ニュージーランド大学ラグビー協会)主催での対応だったので、オールブラックjrとの対戦時だけは、特別扱いという感じだったが、1973年英仏遠征時国代表同士の戦い(テストマッチ)は、まさに『国賓扱い?』昇格、たとえば、宿泊は一流ホテル競技場ウェールズではアームズパークイングランドでは、ラグビーの聖地 ・ トゥイッケナム、また、 ホテルから競技場までは、パトカー先導で赤信号でもノンストップ通行など、こちらが戸惑う程の扱いであり、ラグビー国代表ステイタスを感じたモノだったのである。

そして、3~4日ごとに州代表、或いは国代表とのゲームがあり、その間にも観光、練習、レセプションが続き、さらにキャップテンは、その都度スピーチなどもあり、本当にタフなスケジュールであって、当時アマチュアの32才にとっては、少々荷が重い感じであったが、私は『酒を分解する酵素を持ち合わせていない弥生人』だったが為に、 酒が全く飲めなかったのが幸いして、なんとかキャップテンが務まった感が無きにしも非ずだったのである。

すなわち、フランスに入ると、これはフランス側の常套手段である・国代表とのゲーム前日を狙って、「ワイン工場への招待」が組み込まれていて、口当たりの良いワインの原酒をたらふく飲まされて、『翌日足がもつれる』なんてことも、経験させられるわけである。
まさしく、そのワイン工場見学を終えて郊外の宿舎に入った夜、妙に静かだなと見回ってみると、なんと寝床は、ほとんどモヌケのカラ、残っていたのは酒の飲めなかった私と、節度ある飲み方で信頼があり飲酒が許されていた小笠原だけで、他のみんなは何をしに行ったか定かではないが、甘いワインに酔わされて、タクシーで町に出かけて行ったようだったのであり、呆れ果ててしまったモノだった。しかし、それでも、翌日のフランス代表とのゲームは、18-30と善戦したのだから、大したものだったのである。(


2017. 06. 05  
今度は、Nさんより、さらにコメントあり、、、

<Nさん : 私は、 ラグビースクール時代は平パスがメインで、中学時代にオールブラックス来日の影響もあり、みんなでスピンパスを覚えましたが、ボールを取るときの手は、同じ形でした。 平パスの前提で取れば、そのまま持ち替えなくてもスピンパスできると思いますが、小学生だと手が小さいから持ち替えるんですかね? そうすると、横井さんの仰るとおり、平パスをまず完璧にすることが、 基本ですね。 スーパーラグビーでもNZ 勢は、一人づつ平パスを繋ぐのが、うまいですよね

横井回答 : NZでは、小さい時には『まず、平パスを教える』という基本を、昔から変わらず、シッカリやっている筈です。
しかし日本では『両方を正確に教えるという手間をかける時間と環境が創り出せなくて、そう出来ていないところもあり、受ける時の形に変な癖がついてしまって、ミスが多いプレーヤーを見受ける』ようです。すなわちひとりひとりの状況を見て、どうすれば良いのか考える必要があり、余計に手間をかける必要があるということになっているのではないでしょうか?
これは、パスだけじゃなくて、「多くのスキルの教え方が、外国でやっているやり方そのままに真似ている場合が多く、当然日本人に合うように考えられていない」ということもあるようで、『日本人の身体および身体能力に合った教え方』を、日本の指導者工夫する必要があるのではと思われますが、 いずれにしても、『悪い癖がついてしまったら、まずそれを止めさせて、さらに正しく教え直すという二重の手間がかかる』という日本人指導者のご苦労をお察し致します。

明日からは、また行脚に出るので、ブログの更新来週になります。次回は、1973年・全日本英仏遠征の最後、フランス戦について書きましょう。


プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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