2017. 07. 24  
アドバイス行脚に出ていたので、ブログは『休憩』と言っていましたが、、、
若いプレーヤーと付き合うには、彼らの注目しているような『話題』に、ついていけるように、その種のテレビ番組は一応チェックしているが、その中の一つが『朝ドラ』。

実は、一つ目のアドバイス先の高校で、まさに『みね子の恋人・島谷君』にそっくりな子を見つけ、何かにつけて彼の行動を例にとって誉めたりイジッタリして盛り上がっていたが、24日、ちょうど家に戻ってテレビを見てみると、なんと『みね子と島谷君・圧巻!別れの場面』、、、号泣してしまいました。
ご存知ない方々のために、チョット解説と思ったが、雰囲気を壊してしまうので、やめときます。(再放送でもチェック方)

イヤー、この朝ドラ、ちょうど『ビートルズ初来日』など、ちょうど「自分が通って来た時代が背景」であることや、またシチュエーションがダブってくるところもあり、思い入れがあったが、今度ばかりは、『青春の恋物語』、感動させてもらいました。参った参った。()


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2017. 07. 20  
ということで、50回まで続いた・この『ラグビージャパンの足跡』シリーズも、この辺りで、終わりにしたいと思います。
長らくお付き合いを頂き、本当にありがとうございました。

ラグビーの指導者の皆さん、『本当に今のプレーヤーにラグビーの面白さ、その奥深さを伝えるのは、大変な手間がかかり、ご苦労様であります』
しかし、『プレーヤーが、その一端でも理解し、実行して成果をあげてくれるのを目の当たりにすることは、本当に喜びであり、感動であります』

私も、また明日から、アドバイス行脚に出ます。8月の中旬まで、あちこちをウロツキますので、このブログも、『休憩』に、させて貰います。
もし、どこかで見かけたら、是非『ラグビー論議』をふっかけて下さい。

物心ついてから始めた19才~33才までの足かけ15年全くのド素人からやり出して、ジャパンとなり、世界と戦うようになった・現役時代のラグビー実体験」、また「60才~76才まで全国各地を巡り17年間のアドバイス経験で得たモノの全て」を背景に、どのような質問にも、即座分かり易く、 説明できると思います。こんな稀有な体験をした人間の話を、聞き逃す手はないと思いますよ、、、

それでは皆さん、次の機会まで、ごきげんよう!!


2017. 07. 19  
ラグビー現場に戻ろうと考えた2000年の前後に『当時の日本ラグビー』に関して見聞きしたことは、『ジャパン』については、1995年のワールドカップで、NZオールブラックスに145点も入れられて大敗し、1999年には、平尾ジャパンが予選3敗など連敗続きで、 日本協会では次期に『外人監督』を検討しているという風評だった。

そこで、当時の強化委員長だった宿沢君に電話して「日本オリジナルを目指すべき外人監督は止めといた方がよい」と進言したが、彼は「日本人をよく理解できる外人なら、いいでしょう」と言い訳したので、「そんな外人、居るわけないよ!」と私も応じたが、その後、エリサルドジョンカーワンエディ・ジョーンズとなっていった。エリサルドは論外だが、カーワンは『新渡戸稲造の武士道』を読んでいたらしいが今の日本の若者は読んでない(笑)、エディは『日本式の鍛錬法』を上手く活用したが、戦略、戦術は「ジャパンウェイ」と言いながら、 日本オリジナルでなかったなど、 『1960~70年代に確立した日本オリジナルラグビー』、即ち『究極のシャローディフェンスと、意図を持った接近アタック』 とは、程遠いモノではなかったろうか。

また、そんなジャパンの影響を受けてか、まだ悪い癖がついていないチームはないかと、近隣の高校、大学チームを覗いてみたが、情報共有が行き届いていたのか、ほとんどのチームが『待ちディフェンスと、ワイドアタック』で、日本のラグビー界すべてが、私の『ラグビー常識』と、全く相容れないものだったのである。

そして、 「これはおかしい、何とかせんとイカン」と、それまでラグビーに関知しなかったことを反省するとともに、現場に戻ることにしたのである。しかし、 私は、昔の『全日本ラグビーそのまま』を、今のプレーヤーで復活できると、思ったのではない。それは高校、大学のプレーヤーの身体能力鍛錬に要する時間の確保困難の実態に接してみて、すぐに察知できたのである。

現在の日本では、家庭の躾け学校教育日常生活など、全く変わってしまった周囲の環境変化に染まって、激変してしまった日本の若者の身体、身体能力、性格性向、思考形態などに加え、あらゆるラグビー環境で外国に比べ不利な日本においても、受け入れられ、やりたいと支持される『新しい日本式ラグビー』を、模索する必要があるのではないかと、悟ったのである。

すなわち物理の法則ものの道理は変わるべくもなく『小よく大を倒す』には敵が、スピードにのる前にタックルする ・ 前へ出るディフェンスは、変えてはならないし、アタックでは、昔の日本人程の敏捷性、巧緻性がなくても、そこそこの特長を活かして、『その代わり、より綿密に段取りした仕掛けでもってわかっていても止められないサインプレー』で、トライを取り切るということは考えられるのではなかろうかなどと、あらゆるカテゴリーの現場を詳しく洞察現場で考え試行し、多くの失敗をしながら改善を重ね、時には各チームがやっている事の良いところドンドン取り入れもして、この17年間、100をこえるチームアドバイスを続け、進化して来たと、自負しているのである。


2017. 07. 16  
15日に、秩父宮ラグビー場で行われたスーパーラグビー最終戦で、参入2年目サンウルブズがシーズン2勝目をあげ、観客の声援に応えた。
ラグビーとは、『心と身体が連動するスポーツ』を、まさに焦熱のグランドで、思い知らせた瞬間ではなかっただろうか。
プレーオフ進出を逃したとは言え、NZの強豪ブルースに対し、摂氏34度の猛暑、地元の応援に後押しされて、前半を14-21の僅差でしのぐと、後半53分、このゲームのターニングポイントが訪れた。

即ち、暑さでフィットネスの下がった敵の背面を突く前パスで、ポゼッションエリアの改善を進めて来たサンウルブズが、53分松島敵ゴール前40mからインゴールへの絶妙な前パスを、CTB山中がグランディングしてトライ、19-21と詰め寄った。
『これで勢いが出た・サンウルブズ』に対して焦ったのか、オールブラックスのジェロームカイノが、顔面に肩をぶつける危険なタックルシンビン・10分間退場、一人少なくなった敵に対し、すぐさまラインアウトモールのトライで、26-21逆転
更にまたSH茂野の前パスで敵ゴール前に進み、敵ボールラインアウトのボール奪取からの連続攻撃で、茂野がトライと、タタミかけて、31-21
こうなると、勢いは止まらない。カイノが戻っても、敵の頻発するミスに乗じてオマケの3トライを追加して、48-21の圧勝となってしまったのであった。

NZの強豪チームと言えど、昨今は「転げだすと立て直せない」、故に如何に『このようなゲームになるように、イケルぞと思える)を創っていくか』、 逆にを創るために、味方を前に走らせるようなゲーム創っていくか』ということを、考え実行できた結果ではなかったか。

もう一つ、重要なのは『ディシプリン』ではないか。先日も、12年に一度しか見られない・ブリティッシュライオンズオールブラックス第2戦で、ソニービルウィリアムスが同様の危険なタックルレッドカード、たった一発の規律違反チームの勝敗を左右して、ライオンズ勝利。その後遺症が 第3戦にも響いたのか?第3戦は引き分けとなって、結局、『1勝1敗1引き分け』の五分五分という珍しいが後味の悪い対戦成績になったのではなかろうか。

世界的なプレーヤーが、そんなに高い姿勢で、 タックルに行くなんてことは、恥ずべきことではなかろうか、ラグビープレヤーたる者、規律遵守については細心の注意を払うべきことを、肝に銘じて欲しいものである。


2017. 07. 11  
前回記事で、南ア戦の年を、『100年間違っているという御指摘』を受けて、訂正いたしました。
は、とりたくないものです。まだ、 ボケてはいませんので、今後とも、是非ご愛読のほど、よろしくお願い致します。

ALL OUT さん、御指摘ありがとう、、、


プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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