2017. 02. 21  
さて、『接近ツナギ』をアドバイス先の高校生に落とし込み、その様子を写真に撮ってみようと思ったが、如何せん『写真撮影技術の無さ』と、プレーヤーが『カメラ目線』でやったりするものだから、、、(
ということで、『上手いタイミングでの良い見本』が、どうしても撮れなかったので、それならばと、、、
下の『悪い見本』の写真を使って、また私が先に、どこを直すべきかを言ってしまうと、『考える癖』がつかなくなるので、今回は、 ヒントだけを箇条書きにするので、どこを、どのように直すべきかを、皆さんで考えて貰うことにしたいと、思います。

まず、最初のボールキャリアは、ディフェンサーを止めてしまうには、どういうコースを走り、目線はどこで、どんな姿勢で、どんな足の運びで、どんな方向ベクトル)で、ダミーに当たろうとするべきでしょうか?
ダミーに当たる時、ボールは、どのように保持すればよいのでしょうか?
ダミーに当たったあとは、自分の身体の重心を、 どのようにして立ってられるようにし、さらには、 どの方向を向いて、味方のサポーターに、ツナゲバ良いのでしょうか?

サポーターは、このツナギをする場合に、どんなタイミングで、どんな声を掛け、実際その地点に、どんな姿勢で、行けば良いのでしょうか?
ボールのツナギを受ける際に、その姿勢は?、目線は?手の構えは?
スピードは?

ダミーを持っているディフェンサー役姿勢は、これで良いのでしょうか?

各人の直すべきポイントを、 書きましたが、それらが出来てやっと『当たってからツナグ』ということが出来る訳だが、その前に、このダミーに当たるというコンタクト力がいるわけであり、これをダミーなしに、 直接敵プレーヤーに、 当たるとすれば、『ガチ』でのコンタクト力を鍛えておく必要があり、さらには敵が引く場合があるなどの対応も、練習しておく必要がある。
そうした遭遇したこともないような経験も、想定して練習でやってみて実際に体験し、『敵に当たる恐怖』というモノを、克服出来ないと、次のステップには進めない。
そして、それらが出来た後に、最終的には、『このツナギを敵に当たる直前0センチのタイミングで出来るようにしサポーターも、そのタイミングにピタリと来る』ということが出来て初めて、『接近ツナギ』の完成となります。
これが、 『究極の接近パス(最初から意図して行なう、日本式段取り付きオフロードパス)』なのです。 やってみて下さい

接近術ツナギ


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2017. 02. 19  
昨18日は、アドバイス行脚のついでに足を延ばして、北九州の小倉に行き、2019ワールドカップに向けた準備で新設された『北九州スタジアムのこけら落としサンウルブズトップリーグオールスター』のゲームを、珍しく生で観戦して来た。スタジアムは、素晴らしい出来で、1万5千人の観客席も埋め尽くされ、立ち見も出るほどの盛況ぶり、いやー、地方の盛り上がりぶりが、実感された。

というのは、この新スタジアム建設に向け奔走した北九州市の元市会議員・吉田君が、早稲田ラグビーの同期生(彼とは大学一年生の時、昼食後グランドに出てチーム練習、個人練習、シボリと長時間の鍛錬にも耐え、ようやく湯が膝下くらいしかない泥水の終い風呂の中で、何が原因だったかは忘れたが、『取っ組み合いのケンカ』をしたこともある同期生、懐かしいねー)

その彼の晴れ舞台を『祝いながら観戦しようと、企画された今回の同期会』しかし結局は、趣旨とは関係なく、前夜の昔話に花が咲く賑やかな会、当日のゲームの観戦もどこへやら、インゴールノッコンなど連発に「何しとんねん下手くそ!」と、相変わらずワイワイガヤガヤ勝手な野次満載で、「ゲームの結果? そんなん、どうでもええわー、、」の楽しい集いでありました、チャンチャン、、、(

それにしても、こんな地方でも、2019年のワールドカップに向け盛り上がっているのに、「京都あたりの静けさ?」が、若干気になったでありました。


2017. 02. 12  
前々回の記事で書いた『東京のおかあちゃん(大西鐵之祐夫人・アヤさん)』です。早稲田大学時代は勿論、卒業して京都三菱自工に入社した後も、当時の全日本の試合や、東京での練習などがある度に、帰りがけに大西宅に寄って飯を食わせ貰ってから、新幹線に跳び乗って京都に帰った。本当に、お世話になりました

(この写真は、現役引退後26年経って、2000年に現場に戻る時、鐵之祐オヤジの墓にまいり現場復帰報告をした際、お家に寄って撮らせてもらった時のモノ。引退後、指導者になればとオヤジに期待されていたのを、「ガラではないので、、、」と断わり続けていたのを知っているおかあちゃんには、「今頃になって、気でも狂ったか」と、笑われてしまったのであった)

ayasan


2017. 02. 11  
前回の写真だが(念のため、下に再掲載)、この写真は大西監督指示というより早稲田で普通にやっていたプレーを、私(時代物のジャージー姿やなーボールを受ける方が私、なんと足の短い奴や、、、笑)が、演じているモノで、前々回に書いた、『接近術ツナギ』とは、少々シチュエーションが違うのだが『接近術ツナギ』を説明するには、使えそうなのでもってきたのである。

即ち、「ボールを渡すプレーヤーの方」を見て下さい。この「ディフェンサーに尻から当たり、走り込んでくる味方にツナグ」やり方は、身体を預けるわけで敵からすれば「どうにでも出来る態勢で、これでは自分でボディコントロールが出来なくて、ツナギ正確性を欠くことになる」、そこで私は、バスケットのスクリーンプレー時のブロッキング方式に似せて、「前を向いたまま、敵をチョットずらせて肩で当たり、肩と腹の間に出来る隙間で、 ボールを両手に持ち、敵に干渉されないようにして、正確なツナギをする」ように進化させたのである。

そして、そうは言っても当たってしまえばコントロールは難しいので、さらには、『コース取り』を変更したり、『フェイント』を入れる等の改良もして、敵に当たる直前(0センチ)接近したところでボールをパスし、走り込んだ味方を完全に抜かせるよう進化させ、『エキストラマン投入や、外ループ』に活用したのである。

これにより、「ディフェンサーはタックルに踏み込めなくなり、当たりの弱い・受けることになって、アタック側は、それだけ前に出れてバッキングアップを振り切る所で、ツナグことが出来た」ということであり、故に『わかっていても止めることが出来ない』という独自のサインプレーに仕上がったのである。
これが、 『究極の接近パス(最初から意図して行なう、日本式段取り付きオフロードパス)』なのである。

ということで、この『ラグビー』という本は、『当時の早稲田ラグビーでの基本スキルプレーをベースに写真と図で細かく解説』した素晴らしい教科書大西鐵之祐著ケチをつけるつもりはないが、『接近術ツナギ』については、この時期の後に、私がやり始めたことで、その後の私が出場した『1971年花園でのジャパン対イングランド戦』、『1973年、ジャパン英仏遠征』の時のビデオなどに撮られたものくらいでしか見られないと思う。
(1968年ジャパンNZ遠征で、 オールブラックスJrに勝った時の映像は、NZ協会が、「撮っていない」と言い、出さないので、未だに見られない)

そんなムーブを、こんな「写真と文章」だけでは、到底理解し難いと思うが、やってみて下さい。「なんと素晴らしいサインプレーになる」と感動することを請け負います。ただし、『両手で持ち、低い姿勢で、肩で当たる』という基本スキルが出来ないと、「絵に描いた餅」になってしまいますぞー、、、(

さて、今週末から来週末までは、また『アドバイス行脚』に出掛けますので、ブログは、しばらく休憩にさせて貰います。 なんで、この一週間詰めて記事を書いたか、わかったかなー? (




2017. 02. 09  
下の写真が例のモノで、ピンぼけ気味の写真で、申し訳ないが、この写真は、1969年昭和44年)に、旺文社から初版発行された大西鐵之祐著・『ラグビー(旺文社スポーツ教室)』に、掲載されていたものである。

写真説明の前に、この本のことを紹介すると、この『ラグビー』は大西鐵之祐が、早稲田で『ゆさぶり戦法(早稲田創生期の先輩がオーストラリア遠征し、帰国後、早稲田独自に開発したモノ)』を学び、自分でプレー、体験した。

1950年代に第一回目の早稲田大学ラグビー監督をした際には、オックスフォードケンブリッジ大学チームが来日、その『ゆさぶり戦法』で善戦するとともに『英国ラグビー』も理解し、経験を積んだ。

その後は一旦現場を離れ世界のラグビーを研究した際、『オーソドックスな英国ラグビー』を根底から覆すような『南アフリカのラグビー理論家、ダニー・クレブンの書』に出会うなど、それまでに経験したラグビー理論を、 彼なりに集大成、将来の日本のラガーマンに是非読んで貰いたいとの『野望と期待』を持ち、旺文社に掛け合ってまで、世に送り出したモノなのであり、当時では写真や図をフンダンに入れて分かりやすくした 『最高のラグビー教科書』 であって、 多くのラガーマンに、 読まれたモノなのである。

私は、をあんまり読む方でなくて、「大西鐵之祐著の本」も、 買ったことがなく、この『ラグビー』も、オヤジが亡くなったあとに、アヤ夫人(私の東京の
オカアチャン・私のフェイスブックのプロフィール写真で肩を組んでいる人)から、「オヤジが着ていたジャパンのベストなどと一緒に、形見として戴いたモノ」だったのである。
しかし、失礼ながら「オヤジの考え方はわかっている」と詳細に読んだことはなく、確か大学3年生の時に、なんか「練習時の写真撮影」に協力したことがあって、私自身の写真も何枚か載っていることくらいしか記憶がなかったが、今回それを思い出し、ページをめくってみると、前回書いた記事に関連する写真を見つけたので、ピックアップしたのである。

また、話が長くなり過ぎたので、写真の説明は、次回に、、、(




プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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