2017. 04. 23  
昨日行われたフィギュアスケート・世界国別対抗戦で、日本チームが3大会ぶり2度目の優勝を果たした。つい先日の『浅田真央の引退』にもめげず、その快挙を成し遂げるのに貢献した選手が、女子フリーで日本歴代最高点を出した17才の三原舞依、続いた16才の樋口新葉で、また、前日ショート7位からフリーで逆転勝利 した男子の羽生結弦・22才、それに続いた宇野昌磨・19才、更にアイスダンス、ペアの選手も含めた『チームとしての優勝』であり、本当に素晴らしい勝利であった。

特に際立ったのが『前日の失敗からの逆転』、或いは『チーム最後の演技』など、大変なプレッシャーのところで、結果を出すという『凄いというほかない練習に裏打ちされたメンタルの強さ』が感じられたことだった。来年度の冬季オリンピックについても、期待が膨らむ戦いではなかったろうか。

また、今夜のエキジビションで、女子フリーで自身の歴代世界最高点を更新したロシアのメドベージェワが、なんと『セーラームーンのコスプレで登場』、「月に代わって、お仕置きよ」と日本語で、なりきり演技を披露したのには、まさにびっくり、『日本アニメの人気の凄さ』にも、今更ながらに感服

日本って、素晴らしい』と、つくづく感じいった次第。そうなんです、日本には誇るべきモノが、一杯ある。
ラグビーもそうだ、日本の若いラガーよ、もっと、 日本オリジナルラグビーに誇りをもって頑張ろうではないか!


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2017. 04. 23  
前回「尾崎選手引退後BK修正策」の一端を書いたが、「統一した考え方の全日本を形成した1965年から足かけ6年、ずっとコンビを組んでやって来た彼と、海外チームとの実戦の中で培ってきた、まさに『阿吽の呼吸』は、そうは容易く次のメンバーが引き継げるわけでなく」、時間があれば、 若手選手に『接近スキル』を教え、再編成すべきだったのは、確かなことである。

しかし、当時のメンバーは全員アマチュアで、それぞれ企業の社員でもあり、実際に集まって練習出来たのは、「年に一度の1週間ほどの夏合宿と、海外チームとのゲームがある直前2~3日の練習くらいがあっただけ」という状況では、新メンバーは「アタックでのサインプレーを、一通りおさらいするのが精一杯であり」、残念ながら、1年余では、若手に落とし込めるまでに至らず前回書いた『姑息な対応』とならざるを得なかったのである。

しかし、早稲田OB同士のSO蒲原とは、 割合うまく『シャローディフェンス接近アタック』とも進化させることが出来(たとえば、『蒲原との外ループ』は、全日本が分かれて戦った国内の三地域大会で、わかっていても止められることはなかった)、また『FWのディフェンス修正セットプレー強化』も進み、自信満々イングランドを迎え撃つべく、待ち構えていたのである。

そんな状況を示していたのが、第一戦・花園での決戦前に書いた『寄せ書き(ピンボケ、シリキレトンボで申しわけないが、下の写真)』で、大西監督が、『日本ラグビーの創造者となれ』と書かれた横に、横井が、 『のがしてなるかこの機会』と書いているのだったが、、、
これが、「そうは上手くいかなかった」のである。さて何が、起こったのか、、、




2017. 04. 20  
1971年イングランド来日に向け「攻守の接近スキルが出来た尾崎選手の抜けたあとの修正策」として、まずディフェンスは、CTBに尾崎ほどの強烈タックラー補充できず、三菱自工京都でしたのと同様、「CTBが、より一層前へ出るダッシュを鍛え、敵のCTBを内に追い込み、SOと連携 しタックル する」ことを狙い、SOに強烈タックラーをもってくることにした。これに応えてくれたのが、早稲田OB2年後輩・蒲原(旧姓藤本)だったのである。

FWについては、井沢、村田2人、すなわち「BKが、より前へ出ることで、『縦、横の網の目を、従来より内側で構築』、その結果、BK2人、FW2人の計4人で出来るように『シャローディフェンス・キーマンの省人化』を目指す」ことにしたのである。

アタックについては、これも三菱自工でのやり方を参考に、『サインプレーの接近の要のところを、横井が担当する』ことにより、セットの違い(スクラム、ラインアウト)、オープンサイドの違い(左、右)で、プレーの選択肢を変えて実行出来るようにしたのである。

たとえば、私は 左CTB専門だったので、、、(当時CTBは左、右で分担)
スクラムで、右オープンの際には、間合いがないので、、、
ループは、 SOからフラットパスを受けた左CTBが前へ出て外ループ
FB参加は、SOのパスを受けた左CTB横走りFBパスの『カンペイ

ラインアウトで、左オープンの際には、間合いがあるので、、、
ループは、SOからの飛ばしパス左CTBが受け外ループで右CTBへ
FB参加は、SOから飛ばしパスを受けた左CTB横 にFBが入る・『2ヨコ

など、各人が出来るスキルを持ち寄 り、完遂可能なムーブ選択できるようにし、少ないポゼッションでのセットからのアタック場面で、私がサインを出し、FWがマイボールを球出ししてくれたら、『ワンフェイズの一発トライ』を、実現できることを目指 したのである。

しかし、この考え方が、後のゲーム本番の際に、不具合を起こすことになったのである。 おわかりかな?) それはまた、次回以降に、、、


2017. 04. 18  
ニュージーランドのチームは、基本スキルといい、ゲームマネージメントといい、やはりチームとして、シッカリ出来ていると感 じられるのではないか。
なおさらに驚いたのが、 私が色々なチームに、推奨 していることばかりで、 まさに「私のブログでも、読んでるのかなー」と思ってしまったほど、、、そりゃないわー(
そんなに言うと、「ジャンケンの後出 し」と言われそうだが、私のアドバイスを受けたチームには、わかってくれるでしょう、、、

たとえば、どんなことかと言ってみると、、、
とにかく、何事もスピーディにやる
例 : セットの準備、クイックスロー、タックル後のリロード、ペナルティ速攻、素早いサポートなど)
自軍の強味をまず出 して、優位にゲームを運ぶ
例 : スクラムが優位とみるや、当然押 してくる)
BKラインは、フラットで、ライン間隔狭く、真っ直ぐ走り、平パスで素早くボールを動かす
例 : ラインが狭くて浅いので飛ばすことも出来て、自然に駆引きできる)
広い目で状況を判断でき、複数あるムーブの中で一番的確なモノを選択でき、ミスのないスキルを使い、確実にトライに結 びつける
例 : 全員が、よくラグビーを理解 している感じで、余っていれば止まってでも外までタップパスで運ぶなり、ディフェンスが前に出て来ているなら前パスを使う、ゴールポスト直下にトライするなど、臨機にできる)

ということで、何度も言って申 し訳ないが『50年前の日本ラグビー』の影響があったに違いないと思ってしまうのであり、南アフリカのチームとは、若干違う感じがするのではなかろうか。

なお、このJスポーツの放送で解説 していた「藤島大」君が、『前パス』という言葉と私の名前を出 し説明 してくれていたが、サンキューでした。
ただ、一つ付け加えておきたいのは、私は『チョンパン』は、推奨 していない今迄南アフリカのチームには通 じた時もあったが、今回クルセイダーズの時 は、チョンパンに対するディフェンスもよく、逆に敵に捕られてピンチになっていた、留意方

もう一つ忘れていたが、ジャパンのラインアウトで、「福岡がオーバースローの球に走り込んで、 ダイレクトキャッチする」のをやってくれたねー、これもサンキュ―でした。ドンドン使って、、、(
また、布巻『①の何事もスピーディにやる』を実践出来ていたのは、今後にも、大いに期待できるのではないか。


2017. 04. 17  
ジャパンでの進化対策話の前に、またチョット遠回りになるが、それを考えるのに参考にした『自チーム(三菱自工京都)でのラグビー』について、書かせて貰おう。

1964年・早大4年生の就職活動時に、就職先を選ぶ根拠としたのは、
就職後ラグビーは続ける、既に強豪で先輩が居るチームは避ける
早大で学んだラグビーを、チームの中心になり実践でき、強くする過程を体験しつつ、その成果を『ジャパンの強化』にも反映出来るところへ行く
実家(大阪)にも近く、生活面での面倒が少ないところへ行く

ということで、入社を決めた時は、関西社会人Bリーグの『三菱重工京都』だったが、私が入社する1965年4月には、幸いなことにチームは1964年度の成績でAリーグ昇格を果たし、また会社も重工業から自動車工業となっていた、『三菱自工京都』だったのである。

そして、当時の強豪チーム大学卒のプレーヤーを15人揃えてチームをつくる方向に向かっていたところで(当然全員アマチュア)、このチームは、大卒3人、他は高卒、中卒(会社内養成学校)で総勢20数人チームだったが、取り組んだラグビーは、 当然、『接近、展開、連続』の『攻守ともに前へ出るラグビー』だったのである。

しかし、『シャローディフェンスをやる為の必要条件タックラー5人(BK2人FW3人)』は、もちろん当初は確保できずアタックについても、『接近戦の仕掛け』を落とし込めるように出来るプレーヤーの育成も、高校卒の素材を4~5年かけて育てる必要があったのであり、それまでは、すべて『私を起点とした仕掛け』で、組み立てていくしかなかったのである。

そして、この経験が『尾崎引退後ジャパンBK修正』のヒントとなり、『より進化した攻守の組み立て』の基盤となったのである。続きは、次回に、、、

(なお余談ながら、『三菱自工京都』は、 私が入社した7年後の1971年度シーズンに、目標としていた社会人大会で大卒ばかりのリコーに勝ち優勝、続く日本選手権では、雪の秩父宮早稲田に惜敗準優勝に終わった)


プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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