2017. 05. 27  
さて、ウェールズ転戦を終え、イングランドに入った全日本は、あの1971年日本での「両軍ノートライ・3-6の因縁の試合」、個人的には、あのゲームに出場できなかった私の「逃した機会」の雪辱を期し、1973年10月13日ラグビーの聖地・トゥイッケナムでの2年ぶりのテストマッチに望んだ。

対するイングランドも、23才以下と言えど数人の本代表が入っており、また他の若手も、その後本代表に選ばれた選手ばかりで、また敵にとっても日本で苦戦をした経験を持ち対策を講じて来たチームであって、さらに「本国での戦い」ということでは、その気合の入れっぷりは遥かに凄まじく、1971年の時よりは、より厳しい相手であるという状況に変わりはなかった。

すなわち、1971年時には、日本のシャローディフェンスが厳しいのでFWでの攻撃を仕掛けてきたが、それも止められたので、この時は、身長差を生かして、ハイパンで前に進み、我々の頭の上でプレーする戦略をとって来て、これで『防ぎようのない3本のトライ』を取られた記憶がある。

これに対して日本は、例による少ないボール獲得率の中での最小のアタック機会を捉え、前回ブログに出したスクラムからの『イチ横』での植山トライと、BKに回して坂田がボールを後ろにソラスもカバーした植山が逆にチャンスとなって抜け、それに2~3人のサポートがついて走ったために植山がパスダミー二本目のトライを取り、10-16と肉薄、さらにPGを狙う機会も2~3回あったが山口が外し、結局10-19で、またもや「敵地でのテストマッチに勝つという・大魚を逃がした」のであった。

ついては、この時の「敵にわかっていても、トライを取りきれる『接近イチ横』が、どうすれば出来るか?」を、近年、スクラムでは、 敵のディフェンスが5m下がっているのだから、『より簡単に出来る筈のイチ横サインプレー』について、詳しく書いてみよう、、、(


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2017. 05. 23  
昨日の写真が、あまりにも酷いので、可哀そうに思って頂いた方からコメントあって、動画の検索につき、情報提供がありました。(著作権問題などないと思いますが、もし懸念されるなら、ご自身の判断で、お願い申します)

<THさんからのコメント : 今回の記事について心当たりがありましたので、伝えさせて頂きたく、コメントしました。横井さんがアップされた画像についてYoutubeに、これだと思われる映像が上がっていたので、URLを貼らせて頂きたく存じます。最初の3つが、1973年のウェールズ戦、イングランドU 23戦のトライシーン抜粋です>

「ラグビー日本代表、テストマッチ、トライ集」
https://m.youtube.com/watch?v=qHo9sLMNYcY

2017. 05. 22  
またもや、拙い、酷い写真で申し訳ありません。(良い映像は残っている筈ですが、今の私の手元の動画もひどく、そこから引っ張り出す技術もないのでこんなモノしか出来ませんでしたが、ご勘弁のほどを、、、)

1973年英仏遠征イングランド戦接近プレーイチ横(1CTB横FB)』で、植山トライの写真です。ゲームの概況は、次回に、、、

DSCN0118[1]
1CTB横井がイングランド選手の手が届く直前に、ボールをパスしたところ

DSCN0120[1]
FB植山が、横井にタックルした選手の肩横のボールに、走りこんでいる

DSCN0121[1]
横井がタックル受けたのを尻目に、バッキンを振り切り、トライに向かう植山   

2017. 05. 18  
英仏遠征時に、32才になっていた私は、それまでのラグビーゲームでは、捻挫以外は、ほとんど怪我をしなかったが、この時ばかりは、初の欧州遠征の主将という重責を担いながらも、アマチュアで会社業務も忙しくなり遠征前の準備、練習に十分な時間もとれないまま、飛行機の飛び乗ったような状態だった。そのツケモロに出て、第一戦で膝をケガし、今度こそ『イングランド来日時欠場の二の舞』は絶対犯すまいぞと、必死にリハビリに励んだ結果、ようやくウェールズとのテストマッチには間に合わせたのだった。

そして今迄経験 し得なかったニュージーランドよりはるかにデカくて、モール主体ボールの所有を続けられ、頭の上でのプレーに悩まされて絶望的なポゼッション状況の中、さらに見とれてしまうほどのスピードの差に唖然とし唯一シャローディフェンスが届かなかった深いラインのBK翻弄されたが、幻のトライを含めれば、BKで3本トライをとったという意地を見せたゲームだったように思う。

そして、これらの経験を活かし、全員が帯同 している遠征中の方が、コンビネーションが取れて来て、必要なスキルを、 共有出来ていくという面もあり、早速モール対策としては、とにかくディフェンスは倒 し切る、BKディフェンスは前に出るのは変えず、敵ラインの状況により『立つ位置、追い方』を変えることとし、アタックで捕まった際は、ラックにして『ボールは両手で股の下』を徹底したのだった。

さらには、ベテラン選手が、若手選手に、タックル、セービング、パス、キックなどの基本スキル指導して、その精度を上げていくことにしたのである。
しかし、ここで早くもベテラン選手が感じたのが、若手とのジェネレーション・ギャップである。
どのプレーも、とにかく姿勢が高く動きが鈍い、これでジャパンの選手かという者も見受けられ、また練習させても再現性がない。たとえば、プレースキックのルーティンを教えても、「横井さん、こんなんフィーリングですよ」と、逆に言われてしまう始末だったのである。

さて、次のイングランドでは、どうなったか、、、


2017. 05. 14  
1973年全日本初の敵地でのテストマッチ対ウェールズ戦は、カーディフの競技場で、 数万人の観客が、 ウェールズ国歌ランドオブファーザー」を大合唱する中で戦うという、我々にとっても初体験のプレッシャーで始まり、 当時世界№1だったウェールズの実力そのままに、セットプレー圧倒され、ほとんど15対85ほどのボール獲得率での苦戦となり、14-62という結果になった。

しかし、その少ないポゼッショの中でも、全日本ディフェンスから敵ミスを誘いカウンターで、WTB伊藤がトライ、また例の『カンペイ』で、山本の負傷で代わってFBの位置に入った伊藤が、横井のパスを受けて抜け、タックルに来たJPRウィリアムスをふっ飛ばして、二つ目のトライをあげた。

さらに、ウェールズゴール前20mでの日本ラインアウトのオーバーボールを捕った№8村田に、左CTBの位置から一気に横井が寄ってガット、そのまま独走して、コーナーフラッグ一杯にグランディングしたが、これがその当時のルール「コーナーフラッグに先に身体が触れた」として、トライが認められず、『幻のトライ』となってしまった。
(私のブログのプロフィール写真に使っているのが、そのトライ場面。当時はテレビ放送があり、後で見たテレビのスロー再生ではトライと認められるが、『ビデオ判定』はなかったので、認められなかったもの)

このトライを含めると、当時の世界№1ウェールズに、堂々とBK3トライを奪ったという素晴らしいラグビー展開したわけであり、 また、 その『独自性あふれるラグビー』に対し、後の「ヨーロッパラグビー20年鑑」に、この写真とともに『ジャパニーズスタイル・ラグビー』との評価を受けて紹介され、また私のトライは、『トライ100選』にも、選ばれたのだった。


プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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