2016. 03. 03  
先日は、渡邉夏燦(昨シーズンまで同志社大学のSOで活躍)が、わざわざ我が家に、『大学卒業の挨拶』に来てくれた。
彼との出会いは、彼が5年前ニュージーランド地震(クライストチャーチで建物が崩壊して、日本人留学生にも多大の犠牲者を出した)に遭遇し、日本に一時帰国して、その後の身の振り方を、父親と共に私に相談に来た時であった。
その時は、『帰国して、私がアドバイスしていた京都成章高に入れば、、、』と言ったが、卒業時期の違いで一年遅れになることから転校は断念、結局ニュージーランドに戻った。

そしてまた、大学進学時『帝京大か、同志社大か』で迷っている時に相談があり、私の家の庭先で『彼の身体に動きや、コミュニケーション能力』などを確認して、『同志社へ行ったら、、、』と、推奨したもの。
そこで彼自身大いに頑張って、1年生からレギュラーとなり、4年生となった昨シーズンには、司令塔として、『関西大学リーグ8年ぶり同志社優勝』の原動力となったのである。

人生万事塞翁が馬』、彼がニュージーランド地震に遭遇していなければ、私との出会いはなかったのである。
私も『社長と喧嘩して会社を辞め、考えもしなかったラグビー指導者になる』を選ばなかったら、『今の自分』は、なかったのである。(
要は、ラグビーと同じで、 『どんな状況におかれても、いま自分は何をすべきかを考えて、 真摯に、 それに向かって邁進すれば、 道は開かれる』のではなかろうか?

彼には、次の進路『三菱相模原でのラグビープロ生活』に向け、『どのようなラグビーを、 目指せば良いのか』について、爽やかな若者の新たな出立を、ともに喜べる快さを感じながら、少々のアドバイスをしたのであった。


関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
現場復帰の原点①
NEW Topics
⑤:アタックについて
④:アタックについて
③:アタックについて
②:アタックについて
コメント:③
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR