2016. 03. 07  
3月6日、『京都成章高ラグビー部30周年祭』が開催され、ご招待にあずかった。私が16年前に、『ラグビー現場』に戻ろうとした時、一番最初に、私の『押しかけアドバイス』を受け入れてくれたチームであって、これがなかったら、その後の『日本オリジナルラグビー創造運動』も、始まらなかったわけであり、この機会をお借りして、『感謝』の挨拶をさせて頂いた。

ご既承の如く、私はジャパン33歳引退し、ジャパン時代の11年間に、 海外遠征などで会社の三菱自工には迷惑をかけたので、引退後20数年間は会社業務専念しようと、ラグビーには一切関知しなかった。
そして『会社生活も、もういいか、今後は何をしようか』と、16年前に考え始めた時に、『やはり私を育ててくれたラグビーに、恩返しするしかないか』と、現場に戻ることにしたのであった。
そして東京に出向き、その決断を恩師・オヤジ大西鐵之祐墓前報告なぜなら、オヤジには生前から『今の奴らに、指導してやれ』と言われ続け、『指導者の道』をも、いくつか打診されていたのに、『私は内向的、口数も少なく、とても他人に教えるような資質は持ち合わせておりません』と断わり続けていたからであった。お墓参りの帰り道に、大西宅に寄った際、東京オカンだった大西アヤさん(今もご健在)にも、このことを申し上げたところ、『あんだけ頑なに断っていたのに、今頃なに言うてんのや、気でも狂ったか』と大笑いされたのであった。

そして、その時のラグビーを見始めたところ 私はスポーツは、やるものと思っていたので、引退した後はラグビーに全く興味なく20数年はグランドで観戦どころか、テレビでも一切見ていなかった、この数年前の1995年に、ワールドカップでジャパンがオールブラックスに、 100点ゲームの大敗をしたニュースくらいは聞いていたが、、、、当時日本のチームは、すべて外国から入って来た『待ちディフェンスワイドアッタック』のオンパレード
なんじゃこのラグビーは?』、これでは小さくて、走力も体力もない日本人は、勝てるわけがないと、びっくりしたのであった。

話が長くなりそうなので、この続きは、次の機会に、、、いまは、この16年間の『アドバイス行脚での精進』のおかげで、ラグビーに関しては、何時間でも喋れ、何ページでも書けるので、ちょっとシリーズものにしましょう。(


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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