2016. 03. 28  
チョットが空いてしまったが、前回記事の2001年当時に、 戻りましょう。会社を辞め、現場に戻ることを決心したけれど、ハシゴを外された恰好の私は、とにかく『27年間離れていたラグビー現場』を勉強しようと、まだ比較的修正の効きそうな『高校生レベル』を見ることとし、京都府ベスト4で自宅から一番近かった『京都成章高』に出向いたわけである。
そして、いきなり「ラグビー部監督を呼んでほしい」と押しかけ、そこで出て来たのが『湯浅監督』だったのである。

私は、自己紹介として、『元全日本CTB1968年ニュージーランド・オールブラックスジュニア戦勝利した時のメンバーで、その後キャップテン5シーズンにわたってやった者です』と言ったわけだが、彼は当然知る由もなく、『どこのオッサンやろ』の対応だったのは、仕方のないことであった。
そこで私は更にラグビー経歴について『自分は高校まではバスケットボールをやり、一浪して早稲田大学に入った1961年4月からラグビーを始めて、大学一年生11月23日早慶戦デビュー、その後レギュラーを続け、大学4年生からは、当時の大西鐵之祐全日本監督の主唱で始まった全日本候補選手合宿に参加以来、1974年の第2回ニュージーランド遠征までの
11年間にわたり、日本代表選手として活躍した』と説明。
しかし、その後ラグビー現場から離れ20数年経ってからラグビーを見てみると、どうもオカシイと感じたこと、すなわち攻守とも前に出ないで、自チームの戦術意図がなく、敵の動きを見てから対応する『成り行きラグビー』になってしまっていることで、これでは、身体および身体能力劣るチームは、絶対に勝てないと思ったこと、ついては、私がやっていた「小よく大を倒す効率の良いラグビー」に、興味はないかと、持ちかけたのであった。

湯浅監督にもラグビー歴を聞いてみると、彼は京都の亀岡高校でラグビーを始め、沖縄の琉球大学ではWTBとして活躍10年ほど前に京都成章高に赴任して、創部2年目部員数名のラグビー部を引き継ぎ、そこから10年で当時全国的にレベルの高かった京都で、ベスト4に成長させた、進取の気性に富んだ、熱血指導者だったのである。
積極的に新しいことを取り込む気概のある彼は、『それは面白いですねー、但し、我々も数名のスタッフと種々論議をして進めているので、さらに詳しい話をスタッフ全員の前でやって貰って、話し合いたい』と、応じてくれたのであった。
そして、スタッフも集めて貰って、なんと数時間の論戦が始まったのである。


関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
現場復帰の原点⑤
NEW Topics
⑬:アタックについて
⑫:アタックについて
更新遅れ、お詫び
⑪:アタックについて
⑩:アタックについて
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR