2016. 04. 14  
アドバイスを始めた京都成章高で、『不合理』なことが大嫌いな『大阪生まれオッサン』が、一番最初にブチ当たったのが、「こんだけ環境の悪くなった日本のラグビー界で、どのようにすれば、効率的鍛錬が出来、お互いに、 切磋琢磨し、『小よく大を倒す・面白いラグビー』が出来るようになるのか」、 まさに何年かかるかと思われる程の大きな課題であり、老境に差し掛かった私にとってみれば、絶好の『生涯学習のネタ』となったのである。()

そこで、まず京都で京都成章)が、既に花園常連であった伏見工)を当時のラグビーとは違う、『攻守とも前に出る・オリジナルラグビー』で倒し、『こんなラグビーがあるんやでー』と思わせて、それを、全国広めて行けばよいのではないかと考えた

それは、ちょうど私が1965年早稲田大を卒業して、『自分鶏口となって出来る・関西Aリーグにあがったばかりの三菱自工京都ラグビー部』に入り、『何年日本一にしてやるか』と挑戦した時を、思い起こすもので、まさに、当時ライバルとなる・社会人大会で準優勝したこともある強豪・京都市役所に、ジャパン同期の山口良治が入り、その後、お互いが切磋琢磨して競った結果、三菱自工京都は、7年後1972年に、社会人日本一になったという『因縁の対決(今度は京都成章のアドバイザーコーチと、伏見工の総監督)』という恰好にもなったのだった。

そして、グランドが狭い関係で、練習時間も場所も少ない京都成章高で、『如何に効率のよい、またプレーヤーがやる気になる練習方法』はないかと自分が、『19歳という物心つき訳も分かった時からラグビーを始めたので当時バックス理論、スキルでは世界最先端を行っていた早稲田での経験思い出そうとすれば思い出せた』、すなわち、『自分では、あらゆるプレーを、どんな練習をして出来るようにしたのか、自分でも考え理解してやっていたので、当然覚えていた』という利点を生かして、ただし、成章の現場では、『自分とは違う生徒達の気質、考え方、身体、身体能力』などを、必死に、 確認しながら、いろいろなアイディアアドバイスしたのであった。


関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
無口な男がトークライブ?
NEW Topics
㊻:ラグビージャパンの足跡
㊺:ラグビージャパンの足跡
さらに、コメントあり
㊙コメントあり
㊹:ラグビージャパンの足跡
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR