2016. 05. 06  
オカシクなった日本ラグビー』を正すためには、『このように戦う べきという良いゲーム見せるしかない』、そして、『それまでに付いてしまった悪い癖が、まだ修正しやすい高校レベルのチームから始める』こととして、まさに、 京都ベスト4だった京都成章にアドバイスし、伏見工に勝つという『下剋上』を成功させ、その後も伏見工と成章が激しく競り合いお互い向上するとともに、他チームにも良い影響を及ぼしていったのである。
そして、この『日本オリジナルラグビーの創造活動』をアッピール出来たおかげで、狙い通りに、この活動に興味を持ってくれるチームが出て来てくれたのである。

ちょうど、京都成章はグランドが狭くて毎日練習出来ないこともあり、御所工や、東海大仰星高合同練習をさせて貰っていて、そこに同時期に集まる ・ 多くの他チームにも『話を聞いてみたら、、、』と、御所工の竹田監督、東海大仰星高の土井監督が、私を紹介してくれたので、ドンドン拡散していったのである。

そして他の県でも2位以下にアドバイスし、下剋上を起こしていったのである。たとえば三重県では当時2位の朝明にまずアドバイスして、四日市農芸を破り、そうなると今度は、農芸から依頼があってアドバイス、また農芸が盛り返す、即ち『各県内で切磋琢磨できる環境をつくり出す』ことを目指したわけである。同様なのが、兵庫県の関西学院高等部、報徳高であって、また、当時の和歌山工、滋賀の八幡工など県代表にはなるが、花園では勝てないところは、全国大会での弱者ということで、アドバイスしていったのである。

このように、近畿から始まった私の活動は、さらに夏合宿の菅平、あるいは岡山の美作九州の久住での、多くの高校チームが集まる機会にも広がっていったわけで、チョットでも現場で声をかけたというのも含めれば、数十チームにも広がっていったのである。
また、そうなって行くと『高校日本代表』のプレーヤー、およびスタッフにも、 そのエッセンス吸収された方が居られるわけで、その後欧州遠征などで、フランスU18勝利するなどの成果に、つながって行ったとも考えられるのである。すなわち、『外国チームと身体および身体能力で、少々のハンディキャップがあっても、それをカバーする、低く素早い動き耐久性、また個人プレーじゃなく、よく連携のとれた組織プレー』と言った特長が、その裏付けとなっていたのであった。
ただし、オコトワリしておくが、私のチョットした練習方法や戦術ヒントなどを、地道にプレーヤー落とし込み、実際に成長させたのは、そのチームの監督以下、スタッフの努力によるものであり、さらに、グランドで実際に頑張って結果を出したのはプレーヤーであるのは、言うまでもないことである。

しかし、同じアドバイスを受けても、『当該チームの監督、スタッフの本気度拘り』によっては、成果の出具合が違ってくるのも当然で、また、よく誤解されるのが、私は当該チームのレベルに合ったアドバイスをし、そのレベル進化に沿いアドバイスも上げて行くので、このあたりの理解が少ないと、『自チームが、先行き完遂出来るかどうか』の予測に関し、多くの指導者は楽観視して、レベルの高いことをやりたがる傾向があって失敗したり、若干ズレが生じることもあり、留意して貰いたいところである。
その年度に達成可能かどうか、危ういなら何年計画で達成すべきかを熟考し、到達可能な目標に向かって、確実に近づいていくことが最重要で、ゆめゆめ、ステップをとばしてはいけないのである。


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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