2016. 07. 06  
現場復帰して5年、各カテゴリーのチームを見て回り、やはり『高校生あたりからやり直さないと、、、』と思って、2006年春近畿高校ラグビー大会を観戦中、久しぶりに昔のペア『世界のウィング?坂田好弘』と会い喋っていたところ、その話を、すぐウシロで聞いていたのが、素材発掘の関係で、高校のゲームを視察に来ていた『帝京大監督・岩出雅之』だったのである。

そして、話に興味を持ったのか、彼は身分を明かした後に、「横井さん、是非ラグビーを教えて頂けませんか」と声をかけて来たのである。大学生指導難しさ痛感していた私は、即座に条件を出したのである。
すなわち、「私が教えに行っても、多くは自己判断で、なかなか私の言う通り正確にやらんので、成果が上がりにくい。君は、絶対に私の言う通りにやらせるか、それがアドバイスの条件である」と言ったのである。
すると彼は、「絶対に、言われた通りにやらせます」と確約 したのであった。

そうして、帝京大へのアドバイスが始まるわけだが、なぜ、早稲田大OBの私が帝京を指導 しようとしたのか、それは私が『ラグビーの全て早稲田に入ってから教えられた』が故に、当時の早大にも昔からの『早稲田ラグビーの伝統』が、連綿と伝わっている筈と信じていたからであり(これが、伝わっていなかったと知ったのは数年後の話で、私は唖然としたのであった、、、)また、前年の早大が清宮監督の最終5年目で、大学選手権2連覇を果たし早大OB達も「早大さえ強ければ良い」という良くない雰囲気が強かったので日本ラグビー界にとっては、高校と同様、「切磋琢磨できる環境」にすべきであると考え、『早大に対抗できるチームをつくるべき』と思ったからである。そして私は早大OBに、「これから帝京大にアドバイスするよ」との通告もしてから、帝京大に赴いたわけである。

そして、最初にびっくりしたのが、部員が百数十人という多さであって、またそれを岩出監督が『ほぼ一人』で指導していたことであり、そこで、指導組織を構築すべきと進言し、一部の指導者を紹介、送り込みもしたのである。
ここで、岩出監督の素晴しかったことは、本当に約束通り、私の言うことには真剣に耳を傾け、その実行が素早かったことであり、またグランドでの指導についても、とにかく私がやりたいようにさせてくれ、そのかわりプレーヤーを、どのようにその気にさせるのかを、ピッタリ私の横につきっきりで聞き、少しでも疑問が出て来た時には、「いま横井さんは、『○○○、、、』と言われましたが、それは『○○○、、、』ということですか」と確認して来て、理解出来ればプレーヤーに「有無を言わせず」、徹底してやらせようとしたことなのである。

また、そのように疑問をぶつけられると、私は、さらに『ラグビーの本質論』を詳しく説明できることになり、彼も『原理原則』を聞いて、やらせてみた結果を見れば、彼自身でも納得し、さらに工夫を加えて、改善出来るようになっていったのである。


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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