2016. 07. 23  
33歳でのジャパン現役引退から27年間ラグビーに一切関知せず、60歳になって現場に戻った2001年から、京都成章高校2年、関西学院大2年、近鉄ライナーズ1年と、一通り各カテゴリーを見て、アドバイスノウハウを蓄積したところで帝京大・岩出監督からの依頼があり、2006年から帝京大へのアドバイスを始めたわけであるが、『その当時の各大学ラグビーの状況は、どうであったか』、について少々述べてみよう。

この時期、日本のラグビー界、中でも特に大学ラグビー界に大きな影響を及ぼしていたのが、2003年から始まったラグビー・トップリーグの動向、ではなかっただろうか。
トップリーグには、世界のラグビー界から大勢の外国人コーチプレーヤーが来日し、一挙に『外国スタイルのラグビー』、主として、『待ちディフェンスワイドアタック』が氾濫、同時に『世界のラグビー映像が、日本のラグビー界を席巻』し、その映像をみただけで、即刻「あのプレーをやってみたい」ということが、あたかも自分達でも、すぐ出来そうだと思える『錯覚』に陥ってしまう状況になっていたのではなかろうか。

だから20数年間の『ラグビー仙人生活()』から戻った私には、『なんじゃ、このラグビーは、日本人には全く合っていない』としか映らず、また、 日本人指導者が、自ら工夫して生徒を鍛え、それに従う高校生レベルは、ある程度の特徴を持ったチームも見られ、切磋琢磨できる環境に在ったけれど、大学レベルのチームの崩れ方は酷く、たとえば、早慶明とも各大学の特色あったゲーム志向が、全く消え伏せ、どの大学もトップリーグやスーパーラグビーの映像を見て、『全く同様の外国式戦略、戦術』を盲目的採用して、『全く独創性のないラグビー』をして、「どっちが、上手くトライをとるか」と言うより「どっちが、 慣れない戦術でミスをして、トライを取られるか」というラグビーをしているように見えたのは、私だけだったのだろうか。

そして、学生数の割に指導陣が手薄で、また中途半端に学生の自主性を認めコミュニケーションも取れないままの『大学ラグビー界の環境』に、一気にそのしわ寄せが来て、U18日本代表では世界と対等に、或いはそれ以上戦えるのにU20~U23日本代表では、差を開けられる、といったことになってしまった。すなわち、ラグビー強豪の諸外国では、19歳くらいからは強豪クラブに入り、コンタクト、ランフィットネス、ゲームのテンポメンタル面などを実際のゲームの中で格段の鍛え方を、嫌が応でもやらされるに対して日本大学では、『高校生より楽な鍛錬環境』、及び『ラグビーの基本を飛び越えた上っ面スキル、戦術志向』に毒されて、プレーヤーが、 軟弱化してしまうという傾向があり、これが日本ラグビーの弱点となってしまっていたのではなかろうか。

そういうこともあって、大学レベルでも切磋琢磨できるラグビー環境をつくるべきだと、その時の依頼に乗ったわけであるが、初めて、帝京大のゲームを
観客席で見て驚いたのが、グランドの外からレギュラー外の部員達が一斉に、レフリーに対して野次をとばす光景に、唖然としたのであった。
そこで、まずは「ラグビーは紳士のスポーツであり、レフリーに対しは敬意をもって接すること、また、その行為が16人目の敵をつくることになる』と話すとともに、今後は帝京が強くなって行くのだから、「実るほど、(コウベ)を下げる、稲穂かな」で、今後は『品格を磨くべし』と諭 したのであった。


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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