2016.
07.
30
24日の記事に対して、次のようなコメントが入っていた、、、
<函館の人:私は、三十数年前に函館で、井沢さんに何回か指導を受けたことがあります。ダミーが、『く』の字に吹っ飛んだ ・ タックル試技を見たとき、本物のタックルのすごさを、実感しました。本当に、熱い人でした>
この井澤君も、早稲田ではキャップテンをしていたわけであるが、背中で引っ張る、口数の少ない、だけど本当に熱い男だったように思う。
ラグビーでは、キャップテンを別名「スキッパー」と呼ぶ、即ち『船長』である。というのは、グランドへ出てしまえば、『スキッパーが、勝つという目標達成に向けて、チーム全員に指示を出してまとめ、すべての責任を負う(航海中の船の中では、船長が法律であり、しかし一旦事あれば、乗組員達を安全に避難させた後、船長だけは船と運命を共にする)』、そんなに大変で孤独な役割を課せられるものであるが、目標が達成できれば、これほど面白くて、やりがいのあることはないのではなかろうか。
ただし、現代の大学ラグビーチームでは、『練習が楽そうなキャップテン』を部員の推挙で選び、またラグビー自体も、大学独自の伝統色がなくなってしまって、そのキャップテンの出身高校の練習方法が、そのまま持ち込まれるなんてことも、多くみられるのである。
そんな雰囲気の多い中で、帝京大へのアドバイス2年目に、あの大所帯を、 率いていくキャップテンになったのが、後に、日本ラグビーを牽引していくことになる・御存知の堀江翔太選手だったのである。
彼の何が素晴らしかったのか、少々、その生い立ちを紹介すると、、、
彼は大阪の吹田に生まれ、幼稚圓児から小学4年までは、サッカーに明け暮れていたが、『エエカッコシイ』ばかりのサッカー児に嫌気 し、5年生からはスクールでラグビーを始め、6年生では175cm、77kgになり大活躍 したしかし、中学校にはラグビー部がなく、平日は中学校のバスケットボール部土日はスクールのラグビーで鍛え、どちらのチームでも、『ブイブイ、いわしていた』というのである。
そして、次に進んだのが公立の島本高校のラグビー部なのである。ここでも最終3年生の時に、強豪私立がひしめく大阪の全国予選で大工大を破り、決勝で東海大仰星に惜敗するところまで頑張ったのである。
本当にラグビーだけじゃなく、他のスポーツも必死にやり、それぞれ大活躍した最後に『ラグビーを選ぶ』という、このブログで私が推奨して来たとおり、まさに理想的な生い立ちの『堀江帝京大主将』に、出会ったわけである。
<函館の人:私は、三十数年前に函館で、井沢さんに何回か指導を受けたことがあります。ダミーが、『く』の字に吹っ飛んだ ・ タックル試技を見たとき、本物のタックルのすごさを、実感しました。本当に、熱い人でした>
この井澤君も、早稲田ではキャップテンをしていたわけであるが、背中で引っ張る、口数の少ない、だけど本当に熱い男だったように思う。
ラグビーでは、キャップテンを別名「スキッパー」と呼ぶ、即ち『船長』である。というのは、グランドへ出てしまえば、『スキッパーが、勝つという目標達成に向けて、チーム全員に指示を出してまとめ、すべての責任を負う(航海中の船の中では、船長が法律であり、しかし一旦事あれば、乗組員達を安全に避難させた後、船長だけは船と運命を共にする)』、そんなに大変で孤独な役割を課せられるものであるが、目標が達成できれば、これほど面白くて、やりがいのあることはないのではなかろうか。
ただし、現代の大学ラグビーチームでは、『練習が楽そうなキャップテン』を部員の推挙で選び、またラグビー自体も、大学独自の伝統色がなくなってしまって、そのキャップテンの出身高校の練習方法が、そのまま持ち込まれるなんてことも、多くみられるのである。
そんな雰囲気の多い中で、帝京大へのアドバイス2年目に、あの大所帯を、 率いていくキャップテンになったのが、後に、日本ラグビーを牽引していくことになる・御存知の堀江翔太選手だったのである。
彼の何が素晴らしかったのか、少々、その生い立ちを紹介すると、、、
彼は大阪の吹田に生まれ、幼稚圓児から小学4年までは、サッカーに明け暮れていたが、『エエカッコシイ』ばかりのサッカー児に嫌気 し、5年生からはスクールでラグビーを始め、6年生では175cm、77kgになり大活躍 したしかし、中学校にはラグビー部がなく、平日は中学校のバスケットボール部土日はスクールのラグビーで鍛え、どちらのチームでも、『ブイブイ、いわしていた』というのである。
そして、次に進んだのが公立の島本高校のラグビー部なのである。ここでも最終3年生の時に、強豪私立がひしめく大阪の全国予選で大工大を破り、決勝で東海大仰星に惜敗するところまで頑張ったのである。
本当にラグビーだけじゃなく、他のスポーツも必死にやり、それぞれ大活躍した最後に『ラグビーを選ぶ』という、このブログで私が推奨して来たとおり、まさに理想的な生い立ちの『堀江帝京大主将』に、出会ったわけである。
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