2017. 01. 15  
1961年早稲田大学に入った時からラグビーを始め1974年、2回目のジャパン(当時は全日本と呼称)ニュージーランド遠征をもって現役引退し、その後は会社業務に専念してラグビーから遠ざかっていた私が、26年間の空白期があった後、2000年にラグビー現場に戻って、あらゆるカテゴリーの100を超えるチームに現場でアドバイスして来て、幾多の失敗成功もした経験を、是非、いま現場で御苦労されているラグビー指導者の皆さんの参考になればと、2010年7月12日に、このブログを書き始めた。

そして、早くも7年目に入って、今迄の6年半での更新回数は1087回長文が多い為、字数としては100万字を超える?)、ほぼ2日に一度のペースで書き続けたことになる。更新時のアクセスランキングは、おかげさまで『FC2ブログ』のスポーツジャンル24089人のブロガーがおられる中では、ほぼ
100位以内、サブジャンルラグビー192人の中では、ほぼ毎回1位にランクされる程、多くの読者に支えられており、感謝申し上げます。

そして、読者からの要望として『1960~70年代のジャパンについての足取りを、書いて欲しい』とか、『大西鐵之祐ラグビーについて、書いて欲しい』とのコメントも沢山頂きましたが、その当時とは、ルールが変わり、また日本のラグビーを取り巻く環境が著しく変換してしまっていて、『昔のこと』や『大西鐵之祐ラグビー』ついて書いても理解し難く参考にもならないし、さらには、書いたとしても私自身がやっていたことが出て来るので、どうしても『自慢話』の様相になるので、それは避けたいと思い、敢えて『封印』してきました。

しかるに昨今読者からラグビー関係の雑誌などのコピーを見せられることもあって、「え、えって、これはチョット事実とは違うなー」とか、「あるプレーヤーがニュージーランドへ留学し、初めて『前へ出るディフェンス』の意味を感じた」とかの記事を読むと、これはやはり2019年日本でのワールドカップ開催時に来日されるであろう、世界中ラグビーフアンに、『日本ラグビー歴史でさえも正しく伝えられていないのか?』との疑念を抱かれては、恥ずかしい限りではないかと思い直しオヤジ(大西鐵之祐)とは、早稲田大学の2年生~4年生(1962年~1965年)の早稲田大学監督時に、ジャパンでは、 1966年~1971年の全日本監督時に、ずっと現場のリーダーとして、一緒に歩ませて貰った私が、正しく伝える役割を果たさなければなるまいと、考え直したのであります。

「とまぁ、書きだすと、また文章が長い、、、」、「長いブログでは、今の若者に読まれないよ」と批判も聞こえてきそうなので、今後は小出しにシリーズ化して書いていこうと思います。また、既に書いたことと重複するところも出て来ると思いますが、面倒くさがらずに、よろしくお付き合い下さい。(


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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