2017. 01. 17  
さて、私が『大西鐵之祐ラグビー』を語るには、まずオヤジとの初の出会い・私が早稲田大学2年生1962~63年)の時に、戻らなければならない。
実は私は、その前年早稲田に入学してからラグビーを始め、7ヵ月後の11月23日早慶戦に、⑫左CTBで初のレギュラー出場を果たしたが、そのシーズンは、関東大学対抗戦最下位となり、1962年度転落したのであった。そして、その早稲田再建を担うことになったのが、大西鐵之祐監督だったのである。

すると、オヤジは着任して開口一番「今年は何が何でも勝ちに拘る『泥臭いラグビー』をやる」と言われたのである。そして、前年の早慶、早明戦CTBで出場した私に、大西監督は「タックルだけは出来ても、パスキックも出来ない奴に、CTBをやらせておくわけにはイカン」と、ウィングへのポジション変更を言い渡されたのである。
その当時、CTB面白さに目覚めていた私は「コンチクショウ、絶対CTBに戻ってレギュラーになってみせたる」と思ったのであるが、しかしこの変更が、私のスキル格段に伸ばせることになったのである。

なお、オヤジのいう『泥臭いラグビー』というのは、『勝つために、ルール上で許されることは、何でもやる』ということのようだったが、私には、『前へ出るディフェンスで、ロースコア・ゲームに持ち込み、アタックは、 BKでトライを狙えるところから確実にとる』という『明確な意図を持った、自分達が出来ると思えるシンプルラグビー』にみえたのだった。
さて、『どんな手立てで、トライを狙ったのか』は、次回に、、、


関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
③:ラグビージャパンの足跡
NEW Topics
㊻:ラグビージャパンの足跡
㊺:ラグビージャパンの足跡
さらに、コメントあり
㊙コメントあり
㊹:ラグビージャパンの足跡
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR