2017. 01. 23  
このシリーズ、「ラグビージャパンの足跡」と題しているが、ジャパンが『統一された考え方』で発展したのは1960年代大西鐵之祐早稲田大学監督が、1966年全日本監督になった際、従来の『即席寄せ集めのジャパン』じゃなく、統一的な戦略、戦術を持って外敵に当たるべしとの考え方を提唱され、早稲田大学ラグビーベースにした『展開、接近、連続』の理論を持ち込んだモノだから、最初に、その先駆けだった早稲田大学ラグビー時代の様相を、説明しているのであり、今しばらく、お付き合い方

話を戻して、早稲田でのタックルの教え方は、当時の早稲田東伏見グランドに、素晴しい器具があったのである。すなわち、4mくらいの櫓が組まれ、そこに人型をしたタックルバッグが吊るされ、吊るしたロープの途中に、『ある仕掛けを持った金具』が付いていたのである。
ある仕掛けというのは、タックルする者がキッチリ肩で当たり人型バッグをしっかりバインドして、下にある程度以上の力で引くとバネ仕掛けの金具の錠が外れてバッグがタックラーとともに下に落ちる
ただし、この肩で当たる力と、バインドのタイミングが、ばっちり合わないと錠は外れず、タックラーとバッグは、ブランと孤を描くだけで、すなわち、落ちないのである
本当に、この用具は良く考えられていて、『早稲田の低く肩で行くタックル』は、これがあったから出来た、と言っても過言ではない。その後、何十年経っても、このような『仕掛け』は見たことがなかった。

さらに、ディフェンスシステムについては、これまた『前へ出るディフェンス』をするため、『絶対にタックル出来る間合いの概念立つ位置出足三段走、敵を追いこむコースどり』など、これも事細かに上級生から教えられたのである。

そして、アタックと同様に、『BKライン練ポジション練個人フリー練』でと、自分で考えて分からないところは上級生に聞いて、何時間もかけて出来るわけで、『自分で考えてやる癖づけ』も自然に出来、ど素人であった私でも、半年で『えげつないタックル)』が、出来るようになったわけである。

何故、こんなにも素晴らしい早稲田ラグビー文化が、築かれていたのか
次回へ、、、


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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