2017. 02. 23  
話を戻して、私の早大3年生~4年生時(大西鐡之祐二回目早稲田監督2~3年目)は、直訴してCTBに戻り、大西理論を現場で実現するため『ディフェンスの接近・前へ出ることを極める』、『アタックの接近・接近ツナギの工夫』など、すなわち『攻守ともに前に出て、小よく大を倒すラグビー』を、 確立することに邁進した結果、早慶早明戦にも連勝し、大学4年生時に始まった「第一回大学選手権」でも決勝に進出、残念ながら、当時優秀な選手が揃った法政大惜敗し準優勝に終わったが、『早稲田復活』の基盤つくりをシッカリ成し遂げ、次の世代に引き継いだ結果、次年度大学選手権は勿論、日本選手権でも社会人の八幡製鉄を破り、早稲田大学が『日本一』に輝いたのであった。

また、ようやく本題の『ジャパンの強化』に向けては、この準備を始めていたオヤジ(大西鐵之祐)にとって幸いだったのは、この早稲田監督の最終年度1964年)に来日した、 ニュージーランド ・ カンタベリー大学との対戦で、現役中心の『全早大』が、13-11で、日本での全6試合中、また対ニュージーランドチームに対して初めての唯一の勝利をあげたことだった。

そして、この勝利により、『攻守ともに前に出て、小よく大を倒すラグビー』の有効性確認 し、また従来からのオヤジの持論・「ジャパンは、その時々の寄せ集めチームじゃなく、統一した戦略戦術を持ち、鍛錬、組織化されたチームにすべき」ということを、日本ラグビー協会の技術委員会で説いていたこととも呼応して、遂に壮大な実験・『1968年の全日本ニュージーランド遠征』への機運が盛り上り、その計画の立案者任命され、取り纏め作業に入られたのである。

その際に、日本人チームと外人チームの長所、短所比較して、何を柱に戦術を組み立てるか、まさに、その三本柱『展開、接近、連続』が、根本原則として決定されたのである。

さて、いよいよ『ラグビージャパンの足跡』に入っていくわけだが、いままでは私の記憶で書いてきたが、今後はより正確を期すべく、オヤジに送って貰っていた本を読んで参考にしようと、ケース入りの1984年初版大西鐵之祐著『わがラグビー挑戦の半世紀』を取り出して、表紙の裏の見返しを開いた瞬間、『オヤジの思い』を目の当たりにし、本当に『万感胸に迫り倒れてしまいそうな衝撃』を受けたのだった、、、

さて、何があったのか 次回を、お楽しみに、、、


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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