2017. 03. 09  
まず,集められた1965年全日本候補選手の多くは、1965年1月に行われた第一回大学選手権に出場した選手、及び、その1~2年先輩社会人選手が多かったのである。(当時はまだプロ選手は居なく、アマチュア選手社会人と学生の差はサホドなくて、また、目標3年先NZ遠征選手抽出することが目的だったためか、、、)

そして最初に、大西監督から『展開、接近、連続』の説明が行なわれるわけだが、その際数値を盛り込んだ科学的な話と、比喩(ひゆ・タトエ)の使い方が大変上手く、さらに例えば『なぜシャロー・ディフェンスをやるか』を、「外人はデカクて機関車みたいなもの、また『エネルギーは、重量×速さの二乗』、だから走り出す前に止めんとアカンやろ」、とか、「鉄砲の玉と、砲丸やったら、どっちがコワイ?」などと大きな身振り手振りでやって(これで、あだ名は『タコ』となり)、プレーヤー達を納得させていったのである。

しかし、話は分かっても、それを現場で、どう落とし込むかが問題なのであって、即ち、当時のBKの一軍候補の名前をあげると、⑨大久保、⑩桂口、⑪坂田、⑫横井、⑬尾崎、⑭伊藤、⑮竹内7人の内、坂田(同志社)、横井(早稲田)の2人以外の5人法政のOB、現役。そこへ『早稲田方式』を持って行くわけだけど、早稲田出身は横井一人、となると「横井が、先導せざるを得ない」ということだったのであり、最初に左オープンのラインを引くと(当時はCTBは左右でわかれていて⑫横井は左CTB、⑬尾崎は右CTB)法政、同志社のBKラインは深いため、⑩→⑬深く、次のより浅いフラットの位置、そして次のはまた深くと、まさに凸凹ラインとなる。
しかし、そこで私は、隣のポジショニングに妥協せずに、ボールをフラットに動かす『早稲田のフラットライン』に、全員を慣らせていったのである。

そして、例の『カンペイ』も持ち込んだわけだが、今度は右オープンで、 が少し横に持ちがデコイで走った外の位置まで上がってくるフラットなパスを放ることをやろうとするのだが、フラットに慣れない竹内が、どうしてもタイミングが合わなくて、結局、早稲田現役の万谷を、使わざるを得なかったのである。(その後もFBは、山本厳、植山と早稲田系が続く、、、)

更に『夏合宿』と言っても、3~5日?くらいで、セレクションも兼ねているので練習もアップ程度だけで、即ゲーム、それも集まった60人 くらいのメンバーを変えては35分6ハーフ くらいするのだが、『展開、接近、連続』の落とし込み役の私だけは、二、三軍にも入って『見本』を示すため、毎日休憩なしの出ずっぱり、なんと6ハーフ ・ 210分も、連続でやらされたのである。
練習は大嫌いだが、 『効率よくサボれるゲーム』は好きだったし、サイン名も全部決めて、自分の好きに 『ゲームマネージメント』も出来たので、なんとかもったのである。

即ち、ここでも、 『新生全日本の統一理論を、現場考えながら創っていく』という大変貴重な経験をさせて貰う『大幸運』に恵まれたのである。

次回は、さらに『展開、接近、連続』の細部について、書いていこう。


関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
⑳:ラグビージャパンの足跡
NEW Topics
⑮:アタックについて
⑭:アタックについて
⑬:アタックについて
⑫:アタックについて
更新遅れ、お詫び
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR