2017. 03. 14  
1968年5月7日戦法統一した全日本は(海外遠征時はALLJAPAN)、初のNZ遠征へ、羽田を出発したのであった。便の都合で香港を経由、2日がかりで、NZ・ダニーデンへ着いたのは、夜の10 時を過ぎていた。

そこで驚いたのが、選手23名ホームステイ(民泊:先方のクラブの個人宅へ宿泊)で、空港から即バラバラに引き裂かれ、一人、あるいは二人づつになって、宿泊先の人に迎えられ、車に乗せられて街灯もない真っ暗な道を、ひたすら郊外へ連れて行かれたことである。
私は万谷と二人で、少しは英語も喋れたので、なんとかなったが、英語も喋れず一人で連れていかれた者は、「どこへ誘拐されるのだろう」と思ってしまうほどで、たまったものではなかったろうと推測されたのである。

そして、お休みの挨拶もソコソコに、案内された冷たい寝床に、潜り込んで寝たのだったが、翌日、目が覚めて外を見ると、大牧場真っただ中、隣の家も見えない一軒家だったのである。
朝食は、 パンとコーヒーのみ、ただし、 台所マトン(羊) の匂いが充満していて、異様な雰囲気、さらに食べ終わると、そこの主人から「オイ、小学校へ行くから、準備しろ!」と命令され、 またもや車で学校へ行き、朝礼台に立たされて、小学生代表からインタビューを受けさされたのである。(当然、子供でも、えらそうに英語で聞きよる、、、

まぁ―、そんな状況で、大いなる環境変化に『ドップリ疲れ』、メンタル面は、メチャメチャ、練習のためにグランドに集まった時だけが、みんなと会えて、日本語が喋れると、『ホッとする瞬間』なのだった。

それと、もう一つ大きな変化は、グランドの芝が、 『グラース』と言って、若干粘土質の柔らかい土の上に茂る『丈の長い草』である上に、雨でも降ればジュクジュクになり、我々のような足の短い者にとっては、苦手も苦手の地獄ということで、フィットネス上も大変なシロモノだったのである。(後半の20分過ぎには、足が重くて走れなくなる)
本来なら、そんなことは理由にしてはいけないことながら、初の海外遠征で、そうはたやすく慣れる筈もなくて、『展開、接近、連続』を具現するどころか、ずるずると4連敗を喫したのであった。

さて、この状況から、どうして抜け出すことができたか、、、次回に、、、


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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