2017. 04. 14  
NZ遠征次年度・1969年からは、ラグビーアジア大会が、各国持ち回りで開かれることになり、第一回日本の東京秩父宮ラグビー場で行われ、参加は日本、中華民国(台湾)、韓国、香港、タイの5ヵ国で、期間中に大雪が降り、グランドがグチャグチャの悪コンディションに見舞われるなどしたが、当然、日本が4連勝で優勝
翌1970年第二回アジア大会は、タイのバンコックで開催、タイ、日本、韓国、香港、シンガポール、マレーシア、セイロンの7ヵ国が、 参加したが、これも当然、日本が2連覇したのだった。

しかし、このアジア大会中、キャップテン尾崎が韓国戦で、手首を骨折する大怪我に見舞われて引退横井がキャップテン引き継ぐことになった。

そして、1970年には、NZ遠征、アジア地域での活躍などの影響も受けてインターナショナル・ボードが、もう一つの対外試合、『カナダ代表、NZ大学選抜、全日本代表の三国対抗ゲーム』を認可してきた。

なお、NZは「国代表のオールブラックスじゃなく、大学選抜」だったが、以前にも書いたように、当時のNZ大学選抜のBK⑨レイドロー、⑩カートン、⑫ケンバー、⑬ソーン、⑭オカラハンなど、国代表オールブラックスのBKそのまま強豪チーム、残念ながら日本は、「究極のシャローディフェンスを形成していた、またアタックでも緻密な連携プレーでトライしていたところから尾崎が抜けた為、日本BKは、まだその修正がきかず」、NZ大学選抜には46-14と、またもや勝てなかったのである。
しかし、身体的には、NZ大学選抜より大きかったが、そう機敏ではなかったカナダには、『展開、接近、連続のスピーディな攻守』が功を奏し、32-3と快勝し、この戦法に、ますます自信を高めていったのである。

そして、いよいよ1971年イングランド国代表の初来日に向け、新生日本の修正策を、考えざるを得ないことになるのだった、、、


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で
17キャップ(キャップ対象が少なかった)

1968年オールブラックス・ジュニアに勝利

1970年以降5シーズン代表主将(歴代最長)

1973年英仏遠征、日本ラグビー初の海外
テストマッチ、世界最強のウェールズと対戦
上の写真は、その時の幻のトライ

2000年現場へ戻り、100数チームを指導

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