2017. 04. 17  
ジャパンでの進化対策話の前に、またチョット遠回りになるが、それを考えるのに参考にした『自チーム(三菱自工京都)でのラグビー』について、書かせて貰おう。

1964年・早大4年生の就職活動時に、就職先を選ぶ根拠としたのは、
就職後ラグビーは続ける、既に強豪で先輩が居るチームは避ける
早大で学んだラグビーを、チームの中心になり実践でき、強くする過程を体験しつつ、その成果を『ジャパンの強化』にも反映出来るところへ行く
実家(大阪)にも近く、生活面での面倒が少ないところへ行く

ということで、入社を決めた時は、関西社会人Bリーグの『三菱重工京都』だったが、私が入社する1965年4月には、幸いなことにチームは1964年度の成績でAリーグ昇格を果たし、また会社も重工業から自動車工業となっていた、『三菱自工京都』だったのである。

そして、当時の強豪チーム大学卒のプレーヤーを15人揃えてチームをつくる方向に向かっていたところで(当然全員アマチュア)、このチームは、大卒3人、他は高卒、中卒(会社内養成学校)で総勢20数人チームだったが、取り組んだラグビーは、 当然、『接近、展開、連続』の『攻守ともに前へ出るラグビー』だったのである。

しかし、『シャローディフェンスをやる為の必要条件タックラー5人(BK2人FW3人)』は、もちろん当初は確保できずアタックについても、『接近戦の仕掛け』を落とし込めるように出来るプレーヤーの育成も、高校卒の素材を4~5年かけて育てる必要があったのであり、それまでは、すべて『私を起点とした仕掛け』で、組み立てていくしかなかったのである。

そして、この経験が『尾崎引退後ジャパンBK修正』のヒントとなり、『より進化した攻守の組み立て』の基盤となったのである。続きは、次回に、、、

(なお余談ながら、『三菱自工京都』は、 私が入社した7年後の1971年度シーズンに、目標としていた社会人大会で大卒ばかりのリコーに勝ち優勝、続く日本選手権では、雪の秩父宮早稲田に惜敗準優勝に終わった)


関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
サンウルブズ対クルセイダーズ戦
NEW Topics
㊿:ラグビージャパンの足跡
㊾:ラグビージャパンの足跡
サンウルブズ最終戦に勝利
南ア戦、2015年に訂正
「昨今のラグビー論議?」
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR