2017. 04. 20  
1971年イングランド来日に向け「攻守の接近スキルが出来た尾崎選手の抜けたあとの修正策」として、まずディフェンスは、CTBに尾崎ほどの強烈タックラー補充できず、三菱自工京都でしたのと同様、「CTBが、より一層前へ出るダッシュを鍛え、敵のCTBを内に追い込み、SOと連携 しタックル する」ことを狙い、SOに強烈タックラーをもってくることにした。これに応えてくれたのが、早稲田OB2年後輩・蒲原(旧姓藤本)だったのである。

FWについては、井沢、村田2人、すなわち「BKが、より前へ出ることで、『縦、横の網の目を、従来より内側で構築』、その結果、BK2人、FW2人の計4人で出来るように『シャローディフェンス・キーマンの省人化』を目指す」ことにしたのである。

アタックについては、これも三菱自工でのやり方を参考に、『サインプレーの接近の要のところを、横井が担当する』ことにより、セットの違い(スクラム、ラインアウト)、オープンサイドの違い(左、右)で、プレーの選択肢を変えて実行出来るようにしたのである。

たとえば、私は 左CTB専門だったので、、、(当時CTBは左、右で分担)
スクラムで、右オープンの際には、間合いがないので、、、
ループは、 SOからフラットパスを受けた左CTBが前へ出て外ループ
FB参加は、SOのパスを受けた左CTB横走りFBパスの『カンペイ

ラインアウトで、左オープンの際には、間合いがあるので、、、
ループは、SOからの飛ばしパス左CTBが受け外ループで右CTBへ
FB参加は、SOから飛ばしパスを受けた左CTB横 にFBが入る・『2ヨコ

など、各人が出来るスキルを持ち寄 り、完遂可能なムーブ選択できるようにし、少ないポゼッションでのセットからのアタック場面で、私がサインを出し、FWがマイボールを球出ししてくれたら、『ワンフェイズの一発 トライ』を、実現できることを目指 したのである。

しかし、この考え方が、後のゲーム本番の際に、不具合を起こすことになったのである。 おわかりかな?) それはまた、次回以降に、、、


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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