2017. 04. 23  
前回「尾崎選手引退後BK修正策」の一端を書いたが、「統一した考え方の全日本を形成した1965年から足かけ6年、ずっとコンビを組んでやって来た彼と、海外チームとの実戦の中で培ってきた、まさに『阿吽の呼吸』は、そうは容易く次のメンバーが引き継げるわけでなく」、時間があれば、 若手選手に『接近スキル』を教え、再編成すべきだったのは、確かなことである。

しかし、当時のメンバーは全員アマチュアで、それぞれ企業の社員でもあり、実際に集まって練習出来たのは、「年に一度の1週間ほどの夏合宿と、海外チームとのゲームがある直前2~3日の練習くらいがあっただけ」という状況では、新メンバーは「アタックでのサインプレーを、一通りおさらいするのが精一杯であり」、残念ながら、1年余では、若手に落とし込めるまでに至らず前回書いた『姑息な対応』とならざるを得なかったのである。

しかし、早稲田OB同士のSO蒲原とは、 割合うまく『シャローディフェンス接近アタック』とも進化させることが出来(たとえば、『蒲原との外ループ』は、全日本が分かれて戦った国内の三地域大会で、わかっていても止められることはなかった)、また『FWのディフェンス修正セットプレー強化』も進み、自信満々イングランドを迎え撃つべく、待ち構えていたのである。

そんな状況を示していたのが、第一戦・花園での決戦前に書いた『寄せ書き(ピンボケ、シリキレトンボで申しわけないが、下の写真)』で、大西監督が、『日本ラグビーの創造者となれ』と書かれた横に、横井が、 『のがしてなるかこの機会』と書いているのだったが、、、
これが、「そうは上手くいかなかった」のである。さて何が、起こったのか、、、

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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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