2017. 04. 28  
1971年イングランド日本来日はイングランド・ラグビー協会の創立100周年に当たり計画された極東遠征で、日本がテスト・マッチ(両国ユニオンが認めた国代表チームの試合)を組むにふさわしいと、評価された証しであり、また日本にとっては、初めてのテスト・マッチという・本当に意義深いゲームとなったわけである。

そして、まず第一戦は、 9月24日花園で、幕を切って落とされたのである。もう、この時にはテレビ放映もなされ、映像が残されているので、ご既承と思うが、私が「敵主将ジャンケンしている情景」は、ほぼ「大人と子供」の様相であり、例えば、私(163cm、65㎏)の対面・ジャニオン190cm、100㎏というであったのである。

しかし、 シッカリ対策をたてて臨んだ我々には、 何の不安もなく、 たとえば、開始早々からチーム全員の士気は高く、大人ほどのイングランド選手の足にかじりつき「死んでも放すか」の勢いで、ディフェンスにあたり、またアタックも左オープンでSO蒲原左CTB横井飛ばしパス、ボールが後にソレたが受けて一回転し、対面に当たる直前にFB万谷接近パス2横)、万谷抜けて、あわや、敵FBの前でWTB坂田に、ラストパスを通せばトライという場面も、演出するなど、先行き明るい『ゲームの入り』を示していたのだった。

だが、その数分後、悪夢が私を襲ったのである。ゲーム開始10数分を過ぎた頃、敵陣・イングランドボールのスクラム、例によりSO蒲原が素晴らしい出足で間合いを詰めきり、なんと敵SOにドンピシャ・タックル、それを横目に見た私が、「おお、ナイスタックル」と、一瞬低い姿勢から気を抜いて、 立ち上がった恰好のところへ、私の対面ジャニオンも、そちらに気をとられながら勢いはそのままで私に向かい、マン悪く、彼の膝が私の股間に激突したのである。

だが『無痛伝説』の持ち主・私は、痛み自体はあまり感じず、ただの打撲だと思って、しばらくはゲームを続けようとしたが、如何せん、足が上がらないのである。見かねたベンチの指図負傷退場となったが、自分としては、主将としての責任を果たせず悔しくて、大西監督はじめチーム全員に申し訳なく本当に情けなくて、早く消え去りたい思いで一杯だったわけで、実は、その後の記憶が定かではなかったのである。

故に、上記に書いたようなことも、実は、それから30年経って、『現場復帰をして、井沢君映像を見せてもらった時』、初めて理解したのである。

ということで、続きは、次回以降に、、、(泣)


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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