2017. 05. 01  
というわけで、1971年イングランド戦については、9月24日の花園での第一戦の後、4日あけての28日・秩父宮での第二戦も、私の怪我は癒えず当初思っていたよりヒドク、大事なところがパンパンに腫れあがり、オヤジ・大西監督から「将来、 子供出来るかなー」と心配された程となり、走ろうにも走れず)泣く泣く欠場となった為、詳細を語ることも出来ず、30年経ってからのビデオ観戦の感想だけで、勘弁して頂こう、、、

先日書いた第一戦ゲームの入り』で、スクラムではSOがドンピシャタックルされるほどの早いディフェンスに驚いた敵は、『大きさのハンディを生かしたFW勝負と、キックを利用したBK攻撃』に変えてきたが、そこで『日本FWのディフェンスの頑張りが、ハンパなく』、また、『日本は、 蹴られたボールを、少ないボール確保の機会として、カウンター攻撃の練習積んでいたので、実際に、 自陣ゴール前から90mもBK、FW一体となったツナギでトライ』、また『敵のペナルティに乗じた早いテンポの仕掛けで、例のカンペイを敢行これもBKのみならずFWの素晴らしいサポートもつき、50m以上もツナイでトライ』など、チーム一体の素晴らしいパフォーマンスをみせた。
結局、ゲームは得点が2転3転してノーサイド数分前まで19-19の接戦を演じ、あわや同点かと思われたが、最後に、 日本BKの苦しまぎれのキック2本を敵BKに独走され、惜敗

第二戦・秩父宮では、ご既承の如く、両軍ノートライ、3-6のこれまた惜敗イングランド監督、プレーヤーともに日本のスピーディで、スキルフルなラグビー』に感服、「得点では勝ったが、ゲームは完敗」と言わしめ、さらには2万3千人の観客が大興奮、グランド内に雪崩をきって駆けおり、選手達を胴上げするという前代未聞の情景までが見られたのである。

そして、イギリスの有名なジェンキンズ記者から世界中に「訓練された規律あるチームでタックルも強烈、スタミナもあり、またスピードと機敏さがあれば身体の小ささはカバーできることを証明した日本は、世界のトップレベル仲間入りをした」と、報じられた

こうして、ようやく日本世界の檜舞台活躍する機会を獲得したのであったが、私としては、寄せ書きに「逃してなるか、この機会」と書いたのに、完全に勝てるチャンスを逃したわけであり、次なる挑戦・敵地でのテストマッチである『1973年英仏遠征』での名誉挽回に向け、頑張ることを決意するしかなかったのでありました。

なお私事ながら、今日は76才の誕生日メールフェイスブックを通じて、お言葉を頂き、感謝申し上げます。今後とも『接近戦の復活』のため、微力を尽くす所存でありますので、応援のほど、よろしくお願い申します

明日から、またアドバイス行脚に、西の方へ向かいますので、ブログの更新は、来週になります。


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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