2017. 05. 18  
英仏遠征時に、32才になっていた私は、それまでのラグビーゲームでは、捻挫以外は、ほとんど怪我をしなかったが、この時ばかりは、初の欧州遠征の主将という重責を担いながらも、アマチュアで会社業務も忙しくなり遠征前の準備、練習に十分な時間もとれないまま、飛行機の飛び乗ったような状態だった。そのツケモロに出て、第一戦で膝をケガし、今度こそ『イングランド来日時欠場の二の舞』は絶対犯すまいぞと、必死にリハビリに励んだ結果、ようやくウェールズとのテストマッチには間に合わせたのだった。

そして今迄経験 し得なかったニュージーランドよりはるかにデカくて、モール主体ボールの所有を続けられ、頭の上でのプレーに悩まされて絶望的なポゼッション状況の中、さらに見とれてしまうほどのスピードの差に唖然とし唯一シャローディフェンスが届かなかった深いラインのBK翻弄されたが、幻のトライを含めれば、BKで3本トライをとったという意地を見せたゲームだったように思う。

そして、これらの経験を活かし、全員が帯同 している遠征中の方が、コンビネーションが取れて来て、必要なスキルを、 共有出来ていくという面もあり、早速モール対策としては、とにかくディフェンスは倒 し切る、BKディフェンスは前に出るのは変えず、敵ラインの状況により『立つ位置、追い方』を変えることとし、アタックで捕まった際は、ラックにして『ボールは両手で股の下』を徹底したのだった。

さらには、ベテラン選手が、若手選手に、タックル、セービング、パス、キックなどの基本スキル指導して、その精度を上げていくことにしたのである。
しかし、ここで早くもベテラン選手が感じたのが、若手とのジェネレーション・ギャップである。
どのプレーも、とにかく姿勢が高く動きが鈍い、これでジャパンの選手かという者も見受けられ、また練習させても再現性がない。たとえば、プレースキックのルーティンを教えても、「横井さん、こんなんフィーリングですよ」と、逆に言われてしまう始末だったのである。

さて、次のイングランドでは、どうなったか、、、


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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