2017. 06. 13  
さて、しばらく振りのブログ更新となるので『箸休め』に50年前の『海外遠征の様子』を書いてみよう。

1968年のNZ遠征は、 全日本(ALL JAPAN)と言えど、正式の『国代表』の扱いではなくて、NZU(ニュージーランド大学ラグビー協会)主催での対応だったので、オールブラックjrとの対戦時だけは、特別扱いという感じだったが、1973年英仏遠征時国代表同士の戦い(テストマッチ)は、まさに『国賓扱い?』昇格、たとえば、宿泊は一流ホテル競技場ウェールズではアームズパークイングランドでは、ラグビーの聖地 ・ トゥイッケナム、また、 ホテルから競技場までは、パトカー先導で赤信号でもノンストップ通行など、こちらが戸惑う程の扱いであり、ラグビー国代表ステイタスを感じたモノだったのである。

そして、3~4日ごとに州代表、或いは国代表とのゲームがあり、その間にも観光、練習、レセプションが続き、さらにキャップテンは、その都度スピーチなどもあり、本当にタフなスケジュールであって、当時アマチュアの32才にとっては、少々荷が重い感じであったが、私は『酒を分解する酵素を持ち合わせていない弥生人』だったが為に、 酒が全く飲めなかったのが幸いして、なんとかキャップテンが務まった感が無きにしも非ずだったのである。

すなわち、フランスに入ると、これはフランス側の常套手段である・国代表とのゲーム前日を狙って、「ワイン工場への招待」が組み込まれていて、口当たりの良いワインの原酒をたらふく飲まされて、『翌日足がもつれる』なんてことも、経験させられるわけである。
まさしく、そのワイン工場見学を終えて郊外の宿舎に入った夜、妙に静かだなと見回ってみると、なんと寝床は、ほとんどモヌケのカラ、残っていたのは酒の飲めなかった私と、節度ある飲み方で信頼があり飲酒が許されていた小笠原だけで、他のみんなは何をしに行ったか定かではないが、甘いワインに酔わされて、タクシーで町に出かけて行ったようだったのであり、呆れ果ててしまったモノだった。しかし、それでも、翌日のフランス代表とのゲームは、18-30と善戦したのだから、大したものだったのである。(


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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