2017. 06. 18  
1973年10月27日、この英仏遠征の最終11戦目はフランス・ボルドーでフランス代表とのテストマッチとなった。大西鉄之祐著『わがラグビー挑戦の半世紀』の公式報告の文章を、お借りすると、ほぼ以下のとおり、、、

この年、フランスNZオールブラックス破って意気が上がっており、その時のメンバーに加えて、 若手を配した構成となっていて、まさに世界第一級の強豪チームだったのである。
しかし、我々全日本チームにとっては、秋とは言え暖かく、グランドは硬くて芝も短く、日本の関西地方と変わりなく絶好のコンディションと捉えられ、FWは大きいが、BKは左程体格差を感じないという ・ これまた格好の対戦相手と思われたのであって、『FWマイボール獲得と、スクラムサイドの防御BK前パスで敵陣に進み、サインプレーでトライをとる戦術』を、簡潔明瞭に申し合わせて、ゲームに望んだのであった。

さらに、全日本は「これで遠征は終わりだ」との気持ちもあって、「ゲームの入り」がよく、前半の20分までは、ほゞ敵陣で戦い、植山が1PGを決めて、3-0リード。しかし、 22分にフランスFWに中央を突破されトライを許すとその後は双方激闘の連続となった。すなわち、全日本の展開プレーに観衆は大いに沸き、フランスは予想通りのスクラムサイド周辺のアタックでトライと、『双方わかっていても止められなかった得意技』で応酬する形となって、3-47-47-10二転、三転シーソーゲームで、前半はフランスのリードで終了

後半も、最初にフランスが、 ブラインドサイドを突いてFWがトライ7-16と引き離したが、すかさず全日本も、例によるBKの右展開でFB参加の接近サインプレー、 またBKディフェンスでのトライの2トライで追撃、15-16詰め寄った。この20分の攻防は、5万の観衆が総立ちで両チームに惜しみない声援を送ったものだった。

だが全日本の『魔の時間・後半の後半20分』が来た、全員が『ぼーっとする時間帯』である(私が使っている言葉では、「フィットネスコンタクトフィットネスから崩れ、次に足に来てランフィットネスがなくなり最後は頭が真っ白になり知的フィットネスがなくなる」と同じ意味)、その時間帯でフランスTBのマゾー俊足にスワーブで抜かれるなど、絶対的な走力の差対応する術を見出せることなく、2トライを許すなどして、1PGを返すも、結局18-30で終了した。

それでも、この試合は、遠征中のもっとも印象的な『テストマッチ』といえる。幾多の反省材料は残るとしても、フランス人に与えた『全日本の試合ぶり』は、我々の想像以上に強いイメージを感じさせたように思われる。


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Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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