2017. 07. 19  
ラグビー現場に戻ろうと考えた2000年の前後に『当時の日本ラグビー』に関して見聞きしたことは、『ジャパン』については、1995年のワールドカップで、NZオールブラックスに145点も入れられて大敗し、1999年には、平尾ジャパンが予選3敗など連敗続きで、 日本協会では次期に『外人監督』を検討しているという風評だった。

そこで、当時の強化委員長だった宿沢君に電話して「日本オリジナルを目指すべき外人監督は止めといた方がよい」と進言したが、彼は「日本人をよく理解できる外人なら、いいでしょう」と言い訳したので、「そんな外人、居るわけないよ!」と私も応じたが、その後、エリサルドジョンカーワンエディ・ジョーンズとなっていった。エリサルドは論外だが、カーワンは『新渡戸稲造の武士道』を読んでいたらしいが今の日本の若者は読んでない(笑)、エディは『日本式の鍛錬法』を上手く活用したが、戦略、戦術は「ジャパンウェイ」と言いながら、 日本オリジナルでなかったなど、 『1960~70年代に確立した日本オリジナルラグビー』、即ち『究極のシャローディフェンスと、意図を持った接近アタック』 とは、程遠いモノではなかったろうか。

また、そんなジャパンの影響を受けてか、まだ悪い癖がついていないチームはないかと、近隣の高校、大学チームを覗いてみたが、情報共有が行き届いていたのか、ほとんどのチームが『待ちディフェンスと、ワイドアタック』で、日本のラグビー界すべてが、私の『ラグビー常識』と、全く相容れないものだったのである。

そして、 「これはおかしい、何とかせんとイカン」と、それまでラグビーに関知しなかったことを反省するとともに、現場に戻ることにしたのである。しかし、 私は、昔の『全日本ラグビーそのまま』を、今のプレーヤーで復活できると、思ったのではない。それは高校、大学のプレーヤーの身体能力鍛錬に要する時間の確保困難の実態に接してみて、すぐに察知できたのである。

現在の日本では、家庭の躾け学校教育日常生活など、全く変わってしまった周囲の環境変化に染まって、激変してしまった日本の若者の身体、身体能力、性格性向、思考形態などに加え、あらゆるラグビー環境で外国に比べ不利な日本においても、受け入れられ、やりたいと支持される『新しい日本式ラグビー』を、模索する必要があるのではないかと、悟ったのである。

すなわち物理の法則ものの道理は変わるべくもなく『小よく大を倒す』には敵が、スピードにのる前にタックルする ・ 前へ出るディフェンスは、変えてはならないし、アタックでは、昔の日本人程の敏捷性、巧緻性がなくても、そこそこの特長を活かして、『その代わり、より綿密に段取りした仕掛けでもってわかっていても止められないサインプレー』で、トライを取り切るということは考えられるのではなかろうかなどと、あらゆるカテゴリーの現場を詳しく洞察現場で考え試行し、多くの失敗をしながら改善を重ね、時には各チームがやっている事の良いところドンドン取り入れもして、この17年間、100をこえるチームアドバイスを続け、進化して来たと、自負しているのである。


関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
㊿:ラグビージャパンの足跡
NEW Topics
ドラマのような日々
朝ドラに号泣!
㊿:ラグビージャパンの足跡
㊾:ラグビージャパンの足跡
サンウルブズ最終戦に勝利
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR