2011. 01. 30  
そう、なぜ日本人の身体、身体能力が変わってしまったのか?私は残念ながら、現場に戻るまで、そんなことを考えもしなかった、ホンのたまにテレビ中継のラグビーを見ても「なんて下手なんやろう、タックルは下へ行くもんやろう」などと見ていたのである。これは、世のラグビー長老たちが陥るパターン。自分の時代では、そうするのが常識だったが、今はそれが違っているのに気付かないと、そこで終わってしまう。
しかし、私がラグビー現場へ出てから洞察してみると、、、「そりゃ、下へタックル出来ない身体になっているわ」また、「この練習では、出来るようにはならんわなー」とわかるのである。

そして、ラグビーは「全人格」を駆使して戦うもの、その身体という表面的なことの奥で、さらにもっと「根本的な問題」、すなわち「人格形成の時期」である幼児時代の遊び、小、中学時代の体育において、いろいろな問題があって、そういう身体、考え方になっていることに気付かされることになり、またその多くが社会環境にも依存することであり、「こりゃ、日本人みんなが、その立場、立場で本気にどうすればよいのか考えないと、とてもじゃないが、良い方向に行かないだろうなー」と思い知らされることになったのである。

例えば、どんな現象があるかといえば、幼児時代に今のお母さん方は、子供がちょっと高くて細い平均台のようなところを歩こうとすると、「危ないから、やめなさい」とやらさない。それでも子供がやろうとすれば子供の手を持って支える
これでは、子供が危ないことに挑戦してみようという冒険心を摘んでしまう、また支えてしまうことは、子供が自分でバランスをとる練習が出来ないし、失敗して高いところは怪我する可能性もあることを、学習出来ない。

こんなことの延長線上で、中学、高校のラグビー現場でどういうことになるかというと、例えば最近どこのチームもトライの練習をしないので、「トライは最後の詰め・一番重要なものである、だからゴールの3~5m前から飛びこめ」と言って、「誰かやってみよ」と言っても、誰も率先してやってみようとはしないのである。
このころになると、何かに挑戦しようという気持ちが少ないということの上に、さらに、自分が集団の中でどのようにみられるかの空気を読もうとして、、、「あまり突出したくない、或いは失敗したくない、そうしないと苛められる」という気持ちまでが加わっているのである。

「ええっ、そんなん嘘やろ」と昔の人であれば、びっくりすることが起きているのである。またこの「過保護」の反対に、共稼ぎ夫婦に放っておかれた子供は「自己中」になってしまうことが多い、プレーにもそれが現れ、受け手の準備もないのにキックする、味方に取れないようなパスを平気でする、抜けても味方を探さない、なんてことになる。このように考えれば、「今の若者は、こういう環境変化の被害者」なのである。

そんなところで、私は何が出来るだろうと考えた時、まずこのことを、「広く知ってもらう」必要がある。先日「尖閣諸島問題」で、中国漁船の暴走をあばいた保安官の心情は察するにあまりあるのである。(涙、、)

また、それをなんとかする方法として、こんな方法はどうであろうと「提案して行く」必要があると考え、機会をとらえて「日本のラグビーを考える」などの文章を書き始めたのであるが、
これとても、今の日本での「スポーツの価値」が著しく低いものとしかしか見られていないことが、一番の障害なのである。「事業仕分け」じゃないが、
スポーツでは、「2位ではアカンのである、1位を目指さなければ、、、」
「その為の環境整備に、『人と金』をかけなければイカンのである」(笑)


関連記事
スポンサーサイト
NEXT Entry
試合結果
NEW Topics
⑦:アタックについて
⑥:アタックについて
⑤:アタックについて
④:アタックについて
③:アタックについて
Comment
No title
肉体労働の価値が低く見られているが故に
体を鍛える価値が低く見られて
スポーツの価値も低く見られている・・・と、考えますが、如何でしょう?

尤も、肉体労働の価値が低いと言うのは、世間様の誤謬だとも思ってますがね
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR