2011. 06. 23  
私は、ラグビーが人間の全知全能を駆使して行なうスポーツであるので、ラグビー以外のあらゆるスポーツが、すべて参考になると思っている。そして、あらゆるスポーツの「世界一流のゲーム」は、必ず見ることにしている。今日の未明も「ウィンブルドンテニス、女子シングルス」のクルム伊達公子ビーナス・ウィリアムスの対戦に釘付けになった。

クルム伊達公子:1970年9月生まれの40歳、18歳でプロデビュー、ツアー9勝、世界ランキング最高4位、世界4大会最高成績ベスト4など、25歳で引退するまで、いまだに日本人最高の成績を残していた。その彼女が2008年、 37歳で現役復帰、今回ウィンブルドンは、グラフと決勝進出を賭けて戦った1996年から15年ぶりの「センターコート」である。

ビーナス・ウィリアムス:1980年6月生まれの31歳、14歳でプロデビュー、ツアー優勝62勝、世界ランキング最高1位、世界4大会9勝、特にウィンブルドンでの優勝は5回を誇る。まさに妹のせりーナと共に、女子テニス界に「パワーテニス」を持ちこんだ、現時点でも最強プレーヤーの一人である。

ちなみに両者を比較すると、年齢は40-31歳(世代が違い、今回初対戦)、身長163ー185cm、体重53-73㎏、サーブ速度140-193km/h、まさに身体と力を表すサーブスピードを比べれば、大人と子供以上の差があるほどである。

その伊達が、第一セットでビーナスのサーブゲームを3連続ブレークして「5-1」とリード、まさに頭を使った「読み駆け引き」、ライジング・ショット(ボールがバウンドする上がりバナを低い姿勢で打ち返す)、ドロップ・ショット、ロビングなど、「技の極限」を駆使したゲームの組み立てで、ビーナスを子供扱い、まさに「笑えてくる」ほどの見事なゲームに、1万5千人の観客は魅了された。そして、ようやく強烈なサーブで持ち直したビーナスに反撃され、6-6からの「タイブレーク」に持ち込まれたが、これに打ち勝ち、第一セットを先取した。

第二セットは、さすが現時点でのパワーテニス第一人者・ビーナスが力でねじ伏せる感じで、3-6でセットを取り返され、ファイナルセットへ。ファイナルセットは、お互いのサーブゲームをキープし合う好ゲームが続き、またもや6-6の拮抗したセットとなり、ファイナルセットはタイブレークなしの2ゲーム連続してとらなければならないところに来て、ここで、既に試合時間は3時間を越え、いかな伊達も40歳でのこの死闘にさすがに疲れたのか、その後2ゲーム連取され6-8で敗れた。

私は、この伊達の奮闘に、真夜中のテレビの前で、「行け、よっしゃ―」と大声で応援するとともに、その素晴らしさにを禁じえなかった。試合終了後、観客全員が伊達の退場を「スタンディング・オベーション」で称えたのは当然であり、小さな、力のない日本人が、その「頭と技を駆使して」大きな、パワーのある外人に立ち向かい、てんてこ舞いさせる会心のゲームに「酔いしれた」のであった。

そう、小さな日本人が大きな外人に勝つには、これしかないのである。それを外人の真似をして勝てるわけがない。
「日本オリジナルなラグビー」を目指すべきであるのは、言うまでもないことである。

本当に、40歳の伊達さんの「快挙」とも言えるこの戦いに、酔ったのは、私だけだろうか?


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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