2011. 08. 05  
7月の31日の記事「指導者がいない時は、どうすれば良いか」に関して、コメントをしてくれた人が居るので、滑り込みで紹介しておきましょう。

<K氏アドバイス:20年ほど前に信州大学でプレーしていました。 当時の我々は横井さんがおっしゃるように、委員をもうけてとりくんでいました。
技術と競技規則の調査班と、 フィットネス委員会のストレングス(筋トレ)委員、スピード委員、スタミナ委員。年間と試合直前の食餌、夏場の給水その他の調査班があった気がします。
グランド外での渉外、対OB窓口もとても大切(当時の僕はまったく気がつきもしませんでした)です。
察するに、下級生の一部に、熱心さの面で問題があると、感じてるようですが 2~3年生からドンドン委員に抜擢していってはどうでしょうか? ひとつの役に、 年のちがう2人をつけて、複数年の任期とすれば、チーム文化の継続や学業に忙しい時期の負担軽減にも、役立つとおもいます。
筋トレマニア、ビデオ分析好き、他のスポーツや稽古事のトレーニングに通じてる者、格闘技経験者、テーピングが上手なのなどなどいろいろな人がいると思いますし、チーム内にいなければ、スピードやキック、タックルなど他の競技の学生/学外にスポットコーチを頼むってのはどうでしょう?意外なリクルートにつながるかもしれません。地元のレフリーはどうですか?熱心なひとがいませんか?
技術や戦術、戦略にかんしては、情報があふれています。だからこそ取捨選択が重要なのですが、こればかりは年の功で、追う必要のない流行と必然的なプレーの変遷の仕分け、そこから
チーム事情に応じての落とし込みとなると、合議制では無理とはいいませんが、時間的な無駄が多い。外部のアドバイザーに頼めるといいのですが…….
ながくなりました。がんばってください

よこい回答:おっしゃる通りです。貴方よりもっと以前の50年前の我々の時代は、各人が自分で考え、いろいろのことを自分でやれたのです。そして、20年前の君達は、ちゃんと役割分担をしてやっていた。しかし、いまの大学の現場では、みんなコーチや、トレーナーなどに任せて、言われるままにやる、「指示待ち人間」ばかりになってきたのです。
時代、環境の変化は恐ろしいものです。また、昔やっていたものからすれば、やれるだろうと怒っても、いまの人には「受け入れられない」。だから、現場をよく観察して、「どうすれば出来るようになるのだろう」と考え、「それを理解させて、出来るようにさせていく」という手間をかけないと、昔できたことが出来ないのです。

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Comment
ありがとうございます。
わざわざありがとうございます。
我々は大学からラグビーを始めるものも少なく、練習環境もあまりよくありません。その中でもなんとかまぁまぁの成績が収められていますが頂点にたてていません。チームとしての決めごとをもっと明確にして、考えるラグビーを後輩に指導していきたいです。六年制ですので2、3、4年にもっと積極性をもってもらいたいと思います。
また何かあったらご質問させていただきます。ありがとうございます。
お返事
医学部ラグビー部員さん
僕はもともとのあなたの質問に答えていませんでしたね
怒るべきか?
僕の答えは「わかりません」です

今のトップレベルのラグビーは専業のコーチと選手がやっていることで、放課後のクラブ活動のチームがそのまま参考にしては害のほうが多いでしょう。参考にするプレーを選ぶあなたのセンス次第でチームつぎ込む努力の量あたりの成果がちがってきます。3年計画の目標設定なんてのも....
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お大事になさって下さい。
 横井先生のブログ、常日頃拝読させて頂いております。
 小生、三十年程前に大学でラグビーのようなものをちょっとかじっていた歯科医です。
 先生の無痛伝説、いわゆる疼痛閾値が極端に高いことに起因しているものと拝察します。
 どうか、御自身の体質の極端さを御理解頂き、くれぐれも健康管理については細心の注意を御払い頂きます様、伏せて御願い申し上げる次第です。
 大西先生亡き後、横井先生こそが日本ラグビーの将来を導かれる真の指導者でいらっしゃると勝手に信奉申し上げておりますので。
 妄言多謝であります。
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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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