2012. 09. 13  
あの内村君の番組をみて気付いたのは、手前味噌で申し訳ないが「あれっ、これは、私のラグビー習得プロセスに似ている」と感じたことである。

すなわち、番組の中であった「瞬間視力」のテスト(画面に一瞬出てくる6桁の数字を言い当てること)が出来たし、小さい時から2.0視力であったこと。また「動体視力」も、電車の中から広告板の文字を読む訓練をしていたこと。運動経験も、小学校時代は「器械体操部」で、鉄棒が得意で、回転技も出来たこと。さらに中学、高校と「バスケットボール部」で、ジャンプシュートで、跳び上がった空中で、どんな姿勢からでもシュートが打てたことなど、
私も「空中感覚」が磨きあげられ、また跳び上がって足をすくわれても、うまく回転して着地して怪我もしなかった、すなわち「怖くもなかった」、そして更に、早稲田大学に入ってラグビーをしてから、「パスの練習」として、「二人の間を走って、左から来たボールを跳んで捕りながら、空中で右へ投げる」という練習をしたことも思い出したのである。
その結果「敵に最接近し、身体がどんな状況でも、味方に正確なパスが出せる・接近ミラクルパス」が出来る「横井固有の技」が完成したのである。

余談だが、この夏「島崎文治君」に久しぶりに会った。例の「1968年オールブラックス・ジュニアにジャパンが勝った時、8ミリ撮影役であった彼が、あまりの素晴らしいゲームに我を忘れ、ファインダーから見ずに顔を上げてしまったばかりに、地面しか写っていない失敗をした人」だが、先日、彼の話によると、実はあの話には続きがあって、それを見た大西監督が「俺が撮る」と言ってカメラを取り上げたが、オヤジもまたゲームに見とれてしまったとのこと。
但し、この話は、文治だけの話で、故人に確かめようもないので、事実は、闇の中だが、、、(笑)
その文治が「あのチン(横井)さんと、トン(蒲原)さんの外ループは、わかっていても止められなかったし(国内の三地域ゲームでは敵だった)、誰も真似できませんでしたねー」と、いまだに、言ってくれていた。

長々と自慢話をして、申し訳ないが、なぜ内村君や、私が「出来なかったことを、出来るようになったか?」について、「小さい時から何をやっていたか?」「なぜ、出来ないことに挑戦する気になれたのか?」「スキル磨くのに、どんな練習をしていたか?」などのヒントが、沢山あるので、よく考えて頂きたかったから、あえて書かせて貰いました。よろしく、ご勘案のほどを、、、


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プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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