2017. 05. 14  
1973年全日本初の敵地でのテストマッチ対ウェールズ戦は、カーディフの競技場で、 数万人の観客が、 ウェールズ国歌ランドオブファーザー」を大合唱する中で戦うという、我々にとっても初体験のプレッシャーで始まり、 当時世界№1だったウェールズの実力そのままに、セットプレー圧倒され、ほとんど15対85ほどのボール獲得率での苦戦となり、14-62という結果になった。

しかし、その少ないポゼッショの中でも、全日本ディフェンスから敵ミスを誘いカウンターで、WTB伊藤がトライ、また例の『カンペイ』で、山本の負傷で代わってFBの位置に入った伊藤が、横井のパスを受けて抜け、タックルに来たJPRウィリアムスをふっ飛ばして、二つ目のトライをあげた。

さらに、ウェールズゴール前20mでの日本ラインアウトのオーバーボールを捕った№8村田に、左CTBの位置から一気に横井が寄ってガット、そのまま独走して、コーナーフラッグ一杯にグランディングしたが、これがその当時のルール「コーナーフラッグに先に身体が触れた」として、トライが認められず、『幻のトライ』となってしまった。
(私のブログのプロフィール写真に使っているのが、そのトライ場面。当時はテレビ放送があり、後で見たテレビのスロー再生ではトライと認められるが、『ビデオ判定』はなかったので、認められなかったもの)

このトライを含めると、当時の世界№1ウェールズに、堂々とBK3トライを奪ったという素晴らしいラグビー展開したわけであり、 また、 その『独自性あふれるラグビー』に対し、後の「ヨーロッパラグビー20年鑑」に、この写真とともに『ジャパニーズスタイル・ラグビー』との評価を受けて紹介され、また私のトライは、『トライ100選』にも、選ばれたのだった。


2017. 05. 12  
Facebook上で、タッチラグビー日本代表活躍ぶりが掲載されている。

タッチラグビー日本代表は、オーストラリアで行われているトランスタスマン2017に参戦しています。

1日目
メンズ代表 、vs オーストラリア 3-7
ウィメンズ代表、vs オーストラリア 0-16
2日目
メンズ代表、vs ニュージーランド 6-11
ウィメンズ代表、vs ニュージーランド 6-5 (延長ドロップオフ)

男子が世界1位のオーストラリアに大善戦、女子は世界2位のニュージーランドに歴史的勝利をあげました。引き続き試合は続きます。タッチラグビー日本代表の応援をよろしくお願いいたします

タッチラグビーは、コンタクト不得手なラガーにとって、また小中学生にはタックルがない分、安全片手で身をかばうという悪い癖もつかず、高校生になってから15人制ラグビーをしようと思っても役に立つスキルが取得できる、最適なラグビーではなかろうか。1チーム6人でやれ、カテゴリーも細かく分かれていて、老若男女、誰でも出来る大変面白いゲームである。ルールチーム紹介、今回のテストマッチの映像は、 ジャパンタッチ協会のHPで見ることができる。
日本代表男女とも、昨年度よりオープントランスタスマンシリーズに参加を認められ、今年度の好成績につながった。今後も大いに期待できる。


2017. 05. 08  
展開、接近、連続』の統一された思想を持つ・全日本チームは、1965年に活動を始め、1968年ニュージーランド遠征オールブラックス・ジュニア撃破を含む5勝5敗。1971年に来日したイングランドとは、2敗と言えども大接戦を演じた。

そして、いよいよ1973年、史上初めて、本場のヨーロッパに遠征することになった。選抜の25人は第一次(7月21~26日)、第二次(8月17~20日)第三次(9月1~5日)の合宿練習を経て、 9月16日に出発9月22日
10月27日の間に、ウェールズで5試合イングランドで2試合フランスで4試合、計11試合という強行スケジュールであった。

遠征メンバーは、、、
団長 ・ 金野滋(ウェールズ、イングランド)、大西鉄之祐(フランス)
コーチ ・ 横井久、主将 ・ 横井章、 選手 ・ FW 後川、原、大東、吉野、下薗、
小笠原、寺井、柴田、村田、井沢、赤間、山口、吉田、計13人、BK 今里、
宿沢、蒲原、井口、島崎、杉山、坂田、伊藤、藤原、山本、植山、計11人
と、8年前の活動開始時からのメンバー約半数、特にBK横井、坂田、 伊藤30歳を超えているなど、少々トウがたっている感じが無きにしもあらずだったか。(

そこでイングランド戦の教訓(古いメンバーだけで組み立てていては、故障者が出た場合に困ることになる)を生かし、なるべく古いメンバーの『職人技』を若いメンバーに引き継いでもらうべく務めたが、なにせ、 短い準備合宿では結局、満足できる状況には至らなかったというのが実情だった。
さらに、敵の状況も違っていて、ウェールズではモールに手を焼いた。倒してラックにせんとしたが、倒れても再び拾って、 モールにする技術が上手くて、 ポゼッション絶望的な様相を呈していたのである。

また当時世界№1ウェールズとのテストマッチでは、さすが国代表チームだけあって、身体のデカさFWセットの強さは、 ハンパなく、またBKは、その走力と、スキルがすさまじいものであり、45度の深いラインを引いて、我々のシャローディフェンスが全く届かないところから攻撃を仕掛けて来てその上に個人の力、技の持ち主、すなわちWTB・JJウィリアムスは100m10秒5、FB・JPRウィリアムスは速さの上に強く、SH・シェルのパスは長く、SO・べネットはパスを受けて俊敏に動くなど、まさに翻弄されたのであった。
続きは、次回に、、、


2017. 05. 01  
というわけで、1971年イングランド戦については、9月24日の花園での第一戦の後、4日あけての28日・秩父宮での第二戦も、私の怪我は癒えず当初思っていたよりヒドク、大事なところがパンパンに腫れあがり、オヤジ・大西監督から「将来、 子供出来るかなー」と心配された程となり、走ろうにも走れず)泣く泣く欠場となった為、詳細を語ることも出来ず、30年経ってからのビデオ観戦の感想だけで、勘弁して頂こう、、、

先日書いた第一戦ゲームの入り』で、スクラムではSOがドンピシャタックルされるほどの早いディフェンスに驚いた敵は、『大きさのハンディを生かしたFW勝負と、キックを利用したBK攻撃』に変えてきたが、そこで『日本FWのディフェンスの頑張りが、ハンパなく』、また、『日本は、 蹴られたボールを、少ないボール確保の機会として、カウンター攻撃の練習積んでいたので、実際に、 自陣ゴール前から90mもBK、FW一体となったツナギでトライ』、また『敵のペナルティに乗じた早いテンポの仕掛けで、例のカンペイを敢行これもBKのみならずFWの素晴らしいサポートもつき、50m以上もツナイでトライ』など、チーム一体の素晴らしいパフォーマンスをみせた。
結局、ゲームは得点が2転3転してノーサイド数分前まで19-19の接戦を演じ、あわや同点かと思われたが、最後に、 日本BKの苦しまぎれのキック2本を敵BKに独走され、惜敗

第二戦・秩父宮では、ご既承の如く、両軍ノートライ、3-6のこれまた惜敗イングランド監督、プレーヤーともに日本のスピーディで、スキルフルなラグビー』に感服、「得点では勝ったが、ゲームは完敗」と言わしめ、さらには2万3千人の観客が大興奮、グランド内に雪崩をきって駆けおり、選手達を胴上げするという前代未聞の情景までが見られたのである。

そして、イギリスの有名なジェンキンズ記者から世界中に「訓練された規律あるチームでタックルも強烈、スタミナもあり、またスピードと機敏さがあれば身体の小ささはカバーできることを証明した日本は、世界のトップレベル仲間入りをした」と、報じられた

こうして、ようやく日本世界の檜舞台活躍する機会を獲得したのであったが、私としては、寄せ書きに「逃してなるか、この機会」と書いたのに、完全に勝てるチャンスを逃したわけであり、次なる挑戦・敵地でのテストマッチである『1973年英仏遠征』での名誉挽回に向け、頑張ることを決意するしかなかったのでありました。

なお私事ながら、今日は76才の誕生日メールフェイスブックを通じて、お言葉を頂き、感謝申し上げます。今後とも『接近戦の復活』のため、微力を尽くす所存でありますので、応援のほど、よろしくお願い申します

明日から、またアドバイス行脚に、西の方へ向かいますので、ブログの更新は、来週になります。


2017. 04. 28  
1971年イングランド日本来日はイングランド・ラグビー協会の創立100周年に当たり計画された極東遠征で、日本がテスト・マッチ(両国ユニオンが認めた国代表チームの試合)を組むにふさわしいと、評価された証しであり、また日本にとっては、初めてのテスト・マッチという・本当に意義深いゲームとなったわけである。

そして、まず第一戦は、 9月24日花園で、幕を切って落とされたのである。もう、この時にはテレビ放映もなされ、映像が残されているので、ご既承と思うが、私が「敵主将ジャンケンしている情景」は、ほぼ「大人と子供」の様相であり、例えば、私(163cm、65㎏)の対面・ジャニオン190cm、100㎏というであったのである。

しかし、 シッカリ対策をたてて臨んだ我々には、 何の不安もなく、 たとえば、開始早々からチーム全員の士気は高く、大人ほどのイングランド選手の足にかじりつき「死んでも放すか」の勢いで、ディフェンスにあたり、またアタックも左オープンでSO蒲原左CTB横井飛ばしパス、ボールが後にソレたが受けて一回転し、対面に当たる直前にFB万谷接近パス2横)、万谷抜けて、あわや、敵FBの前でWTB坂田に、ラストパスを通せばトライという場面も、演出するなど、先行き明るい『ゲームの入り』を示していたのだった。

だが、その数分後、悪夢が私を襲ったのである。ゲーム開始10数分を過ぎた頃、敵陣・イングランドボールのスクラム、例によりSO蒲原が素晴らしい出足で間合いを詰めきり、なんと敵SOにドンピシャ・タックル、それを横目に見た私が、「おお、ナイスタックル」と、一瞬低い姿勢から気を抜いて、 立ち上がった恰好のところへ、私の対面ジャニオンも、そちらに気をとられながら勢いはそのままで私に向かい、マン悪く、彼の膝が私の股間に激突したのである。

だが『無痛伝説』の持ち主・私は、痛み自体はあまり感じず、ただの打撲だと思って、しばらくはゲームを続けようとしたが、如何せん、足が上がらないのである。見かねたベンチの指図負傷退場となったが、自分としては、主将としての責任を果たせず悔しくて、大西監督はじめチーム全員に申し訳なく本当に情けなくて、早く消え去りたい思いで一杯だったわけで、実は、その後の記憶が定かではなかったのである。

故に、上記に書いたようなことも、実は、それから30年経って、『現場復帰をして、井沢君映像を見せてもらった時』、初めて理解したのである。

ということで、続きは、次回以降に、、、(泣)


プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で17キャップ
    (当時は、キャップ対象試合が少なかった)

1968年、オールブラックス・ジュニアに勝利
1970年以降5シーズン日本代表の主将を務める
    (いまだに、歴代最長記録)
1973年、英仏遠征、日本ラグビー史上初の海外
     テストマッチ、当時世界最強のウェールズ
     と対戦、写真は、その時の幻のトライ
2000年、現場に戻り、100数チームにアドバイス

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