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2018. 11. 02  
さて、1960年代のことだけを書いていても、いまの若者が出来なければ、「なんの役にもたたない」ので、練習時間がなかなか確保できない彼等でも、「こうすれば、出来るのじゃないか」という視点で、書いてみよう。

その前に、まず、「なぜ、フラットにするのが良いのか、なぜ、 接近するのがよいのか」について説明すると、、、
ラグビーは、「パスをするときは、前に放ってはイケナイ! ゆえに『一番前に出れる効率的なパスは、フラットパス』ではないか」
だから「いまでもフラットパスで繋ぐのが、一番ゲインを切るには有効な筈」ではないか。

たとえば、いまのディフェンススクラムでは5m下がっているのだから、SH⑨が、スクラムの最後尾から、 ボールを持って真横に走れば、いくらでも外まで走れる、それに対して1CTB⑫、2CTB⑬、WTB⑭は、5m下がったところのフラットな位置に立っていて、真っ直ぐ走って行けば、「ディフェンスは、ある程度前へ出たところでも、⑨が何時パスをするか分からないので、勢いは弱まり、パスの時期を見定めようとすれば、⑨を見なければならず、フラットな位置の対面からは目が離れる
⑨は、そのタイミングを逃さず、⑫、⑬、⑭のディフェンサーが⑨を見た時に、その対面の3人のいずれかに、 パスをすれば、そのディフェンサーと、ちょっとズレたところでボールを受けて、抜けるということにならないだろうか。また抜けなくても、ディフェンサーの勢いは弱まっており、ズレているので、アタッカーは刺し込むことが出来、他の二人が、すぐサポートすることにより、つないで即ゲインを切ることが出来るのではないか。
(すなわち、接近すれば目が離れ、近くでも対応できず、すれ違いざまでタックル出来ない状況になる筈)

これが『接近戦の極意』、わかるかな? やってみて、チョーダイ!(笑)


2018. 11. 01  
そして、全日本候補の合宿と言っても、当時は、「セレクションを兼ねた30分ゲームの連続」であり、結局「早稲田式フラットライン」を、他校出身のプレーヤーに示すため、横井Aだけじゃなく、B、Cチーム左CTBにも入って、伝えていったのであり、なんと横井は、連日30分・6ハーフ、合計3時間も、 ゲームをやらされるハメになったのである。

しかし、例の「カンペイ」をフラットなラインでやるためには、(CTBからFBへのパスをフラットにするというのが、現在の「裏通し」と違うところで)、「FBがフラットの位置に上がってくるまで、CTBが真横に引っ張り合わせる」のだがこれが割合に難しくて、「FBが、上がって来れない」ということが、続出した。

結局、早稲田WTB万谷FBにコンバートするということになったのであり、その後も、ジャパンのFBを、山本、植山早稲田出身者を使ったのは、このサインプレーカンペイ」を、スムーズに完成させるためだったのである。

さて明後日は東京で「NZオールブラックス対ジャパン」のゲーム1968年全日本NZ遠征時のメンバーも、 50年ぶりに集まって観戦することになったが、団長、監督、選手25名の内、集まれるのは十数名とのことで、ちょっと寂しいけれど、楽しみに行ってこよう。(


2018. 10. 31  
さらに最初の全日本夏合宿時の、BKの状況を、もう少し詳しく述べてみると
当時は法政大学が、「第一回大学選手権決勝で、早稲田を破って優勝し、体力、走力とも優秀な選手が多かったので、次のようなメンバー構成になっていたのである。⑨大久保、⑩桂口、⑪坂田、⑫横井、⑬尾崎、⑭伊藤、⑮竹内。すなわち、⑪坂田(同大)、⑫横井(早大)の二人のほかは、全部法大出身者だったのである。

実際に、 左オープン攻撃時のラインに並んでみると、法大、同大のラインは深く早大の横井だけがフラットラインの位置に居た、すなわち、⑩桂口、⑬尾崎(当時CTBは、左右にわかれていて、右CTB)が深いラインを引くと、3人目の⑫横井(左CTB)は、尾崎より前に位置し、そして坂田はまた深くなるという、まさに凸凹ラインになったのである。

そして、尾崎が「おい横井、なんでお前、そんなところに居るんや」と言って来たのに対し、横井は「いや、俺は足が遅いから前に居ないと、あんたより遅れるやん、ただ短いダッシュは出来るから、前で待ってて、すぐ合わせるから、、、」と言ったのである。
そして今度は、横井が坂田に対し「お前、なんでそんな深い位置に居るの?俺はフラットにしか放らへんで、、、」と言ったら、坂田は「へー、フラット!! お前のパスは受けにくいなー」と返したので、 横井は 「イヤー、 そやけど、フラットまで出て来て受けたら、もうバッキンを振り切ってトライやで、、、」と言って、前へ出てくることを促したのである。

そうして最終的には、「早稲田のフラットライン」に近付けていったのである。


2018. 10. 30  
新生ジャパンのコンセプト・『接近、連続、展開』を、どのように実際の現場で、実践させることが出来たのか?

そこには、 その考え方を「見本」となって、体現することが出来た選手達が、 居たのである。それは1962年~65年の日本ラグビー界で、大学Bブロック転落から日本選手権優勝の4年間に、「身体および身体能力で劣勢だった早稲田大学で、伝統的に継承されていた『ゆさぶり・展開ラグビー』と、その低迷期に、どうしても勝たねばならぬ戦略、戦術として導入していた戦い方」というのが、ほぼ同じく「小よく大を倒すラグビー」だったのであり、実際には1年でAブロックに復帰、その年の早明定期戦では、Aブロック優勝の明治大学Bブロック優勝の早稲田大学が撃破し、「A、Bブロックに分ける必要があるのか?」の物議を醸した戦術だったのである。

そして、早稲田の監督だった大西鉄之祐が、次の課題であった「統一されたコンセプトを持つ新生全日本」を構築するために監督に就任、世界の強豪相手に通用する戦い方として整理、再構成して、「夏の全日本合宿」に持ち込んだのではなかろうか。

では「どんな早稲田の選手が、どんな見本を見せたのか」を例にとって説明すると、これは、1968年のオールブラックスJr戦全日本メンバーの中の早稲田出身者を見てもらうと、わかるのではなかろうか。

たとえば、「敵との無用なコンタクトを避け、スクラムでのマイボール獲得と、 素早い展開(連続、展開)」、これを可能とする『ダイレクトフッキング』、この見本を見せたのは「第一列の、猿田、後川」だったのではなかろうか。

『世界中で見たこともないシャローディフェンス守備の接近)』、この見本を見せたのは、「CTB⑫の横井とフランカー井沢

『当時では世界においてもオリジナルFBライン参加のサインプレー・カンペイ攻撃の接近、連続、展開)』、この見本を見せたのは、「CTB⑫の横井とFB万谷」ということではなかろうか。


2018. 10. 29  
そして合宿で示されたのが、「身体が小さく、身体能力も劣勢な日本人だが外人に対しては、優位だった『敏捷性、巧緻性、耐久力、規律遵守』といった特性を最大限生かし、『小よく大を倒すラグビー』を目指した ・ キーワードを持つ、「接近、連続、展開」の考え方だったのではなかろうか。

すなわち、エネルギーは「重量×速度の二乗」、故に「重量の少ない日本人は、はやく加速してスピードをつけてコンタクトすれば、当たり勝てるはず」と考え、『攻守ともに前に出て、なおかつ、 敏捷性巧緻性を駆使しアタックでは、すれ違い様に抜き、ディフェンスでは、究極のシャローディフェンスでの低いタックルで倒しきる』ということ。これが、攻守の『接近』ということではなかろうか。

さらに、『巧緻性、耐久力を生かして、少ないポゼッションでも、一旦ボールを獲得すれば、ミスなく保持しつつ、 連続攻撃をし、敏捷性を駆使しては、 無用なコンタクトは避けて、テンポ早く、また広く展開する』ということ。これが『連続、展開』ということではなかろうか。

しかし、理論はわかったが、実際の現場では、このコンセプトが、どのように実践されていったのだろうか?


プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で
17キャップ(キャップ対象が少なかった)

1968年オールブラックス・ジュニアに勝利

1970年以降5シーズン代表主将(歴代最長)

1973年英仏遠征、日本ラグビー初の海外
テストマッチ、世界最強のウェールズと対戦
上の写真は、その時の幻のトライ

2000年現場へ戻り、100数チームを指導

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