FC2ブログ
2020. 05. 17  
しかしながら『ラグビーは科学』、人と人がぶつかるエネルギー
は「重量×速さの二乗」、「伝わり方はベクトルにより変化」など
真理は変わるべくもなく、私達・1960~70年代の大西鉄之祐
監督時の日本代表が、『接近、連続、展開』のスローガンのもと
世界の強豪との対戦で驚かせた・『小よく大を倒すラグビー』は、
日本チームが採るべき『世界最先端オリジナル戦術』であると
確信 していた。

参考までに、当時の残っている映像(あるyoutuberからの提供)
を、見て貰おう。下記のURLで見れる筈、、、
https://www.youtube.com/watch?v=Mq5aoA2rgbQ&sns=tw

(1968年NZでオールブラックスjrを破った映像は、NZ側
が撮影していないと強弁、いまだに、日本には残っていない
上記は、1971年イングランド国代表が日本初来日、花園で
日本代表との第一戦。日本代表のキャップテン横井が、前半
15分に負傷退場するも、英国26-19日本善戦したもの
攻守ともに前に出ているところに注目方)

2020. 05. 16  
さらに、なぜ伝わらないのだろうと考えながら、若いプレーヤー、
の身体、および身体能力
をよく観察していると、たとえば靴、イス
生活
の影響か、非常に高い割合で「外反母趾」であるとか、また
スポーツをすると志している若者でも、「懸垂一回が出来ない
など、私の時代では考えられない状況で「やらんかい」と言って
も、本当に出来ない状況だったこともある。

それと、もう一つ、現に彼らと接しておられた指導者の方々は当然
わかっておられた推察するが、彼ら数人に、いろいろ悪い
ところを指摘し、「ここを直すべき」と話した時、その中の一人
「横井さん、指摘ばっかりじゃなくて、私のいいところも言って貰え
ませんか」と言われ、「ハッと、気付かされた」のは、なるほど、
いまの若者は、まず誉めてやらねば話を聞いてくれない。そして
数人に話しても駄目で、一人一人に話しかけないとダメという
ことを悟り、以後、手間のかかる奴らだなと思いつつも、接し方を
直さざるを得なかった
のである。

2020. 05. 12  
だが、現役を引退し20数年経ってラグビー現場に戻った時
自分が経験した『ラグビー環境(基本技を教えてくれる人が
身近
に居て、さらに教わったことを、その後自分で考えて、
練習する時間が十分あった)』が、大きく変わってしまっており
自分がやっていたラグビー経験で、若い指導者や プレーヤー
に接しても全く伝わらないという失敗を重ね、こりゃ大変だなと
思い知らされたのであった。

例えば、2000年当時日本のチームは、ディフェンスにしても
ほとんどのチームが「対面の内側に立ち、敵がどう攻めてくるか
見てから前に出る待ちディフェンス」が主流で、私がやっていた
「敵の外肩より1m外から、敵にボールが出た瞬間に全速力で前に
出て
追い詰め、肩でタックルするシャローディフェンス」ではなく
タックルにしても敵の選手がボールをプレーするのを邪魔すると
いった高い姿勢で行くことが、多く行われていて驚いたのである。

2020. 05. 10  
さて、『ラグビーど素人』が、なぜタックルを目指したかというと、
アタックは、ボールを受け、敵をかわし味方を探してつなぐ
という四つの仕事をする必要があるが、ディフェンスの方は、
ただタックルすればよいので、この方が簡単だと思ったことと、
もう一つは、ラグビーは必ずコンタクトがあり、身体を当てる
ことに慣れる
必要があるのではと考えた為である。

さらに、肩でタックルしようと思ったのは、身体が小さくて、走力
もないので、走って来る敵に一番強く当たれるのは「」だろう
と思ったからであり、幸いバスケットで低い姿勢で走り回ること
にも慣れていたこともあって、「肩であたるタックル姿勢」が、すぐ
出来たからである。(これが、中学生時代まではバスケットを
やっていても良いと推奨する理由)

そして、当時の早稲田大学ラグビーでは、「こういうタックル
基本動作を、一から詳細に4年生が教えてくれたのであり、また
それを自分で練習する時間が、十分すぎる程あったのである」

2020. 05. 06  
<Wさん:久々の更新を喜んでおります。ラグビー以外、日常の
由無し事への雑感などを時々あげて頂きますと、横井流の着眼点
などを勉強させて頂けるのではと思いますので、楽しみにお待ち
いたしております

Wさんから、上記のコメントがあったが、いまの日常については
書きようがないので、やはり「ラグビー関連」で書いてみよう。
と言っても、具体性がないとイカンので、時代が違って更にピン
と来ないかもしれないが、「私自身の体験」も交えて、ラグビーを
始めた時、『どんな事を考えていたか』を思い出してみよう。

私は中学、高校時代バスケットボールをやっていて、大手前
高校3年生の時
、初のインターハイ出場を果たし、大阪のベスト
メンバー
にもなったが、身長は163㎝ しかなかった。 そこで、
バスケットでの大成は無理と判断。そんな時ラグビー校内大会
での活躍でラグビー部顧問に認められ、公式戦助っ人となって
いきなりSOでトライを取り覚醒。大学進学時に、自分自身の
内向的な性格の改革も狙い、早稲田大学入学を目論んだが落ち
一浪後にようやく入学、ラグビー部に入部出来たのである。

そして、ラグビーど素人身体、走力、体力のない自分が名門
早稲田
で、どうすればゲームに出られるかと、必死に考えて
目指 したのが、『肩でタックルできるバックス』だったのである。

プロフィール

Yokoi Akira

Author:Yokoi Akira
横井章(よこいあきら)

ラグビークリエイター
現役時代は左CTB、ジャパン10年で
17キャップ(キャップ対象が少なかった)

1968年オールブラックス・ジュニアに勝利

1970年以降5シーズン代表主将(歴代最長)

1973年英仏遠征、日本ラグビー初の海外
テストマッチ、世界最強のウェールズと対戦
上の写真は、その時の幻のトライ

2000年現場へ戻り、100数チームを指導

最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR